十玉院跡(読み)じゆうぎよくいんあと

日本歴史地名大系 「十玉院跡」の解説

十玉院跡
じゆうぎよくいんあと

[現在地名]富士見市下南畑

難波田氏館跡にあり、南城山十玉院八幡寺と号し、旧本山派修験本尊は不動明王。江戸初期までは十玉坊と称された。開山や創設年次など由来は明らかではない。文明一二年(一四八〇)七月二七日、十玉坊は聖護院乗々院法印より入東につとう郡と多摩郡清戸きよと(現東京都清瀬市)の年行事職を認められた(「聖護院門跡御教書写」武州文書)。同一八年聖護院門跡道興が東国を来遊した折十玉坊に長期逗留しているが、同坊に赴く際「さゝいをたちて、武州大塚の十玉か所へまかりけるに」とあることから(廻国雑記)、文明年間には大塚おおつか(現志木市か)にあったことがわかる。翌一九年正月二八日には道興より十玉坊法印賢承が埼西きさい郡の年行事職を安堵されており(「聖護院門跡御教書写」武州文書)、文明頃より十玉坊は入東郡・埼西郡内の修験を統轄する有力修験であった。そして年行事職を安堵されたことを通じて本山派修験京都聖護しようご院の支配下に組入れられていった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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