日本歴史地名大系 「千提寺村」の解説 千提寺村せんだいじむら 大阪府:茨木市千提寺村[現在地名]茨木市千提寺泉原(いずはら)村の東、大岩(おおいわ)村の西にあり、標高二〇〇―三〇〇メートルの山間に位置。慶長一〇年(一六〇五)摂津国絵図には「五ケ庄内泉原谷」に千提寺村がみえ、近世初期の五ヶ庄(ごかのしよう)に属した。寛永―正保期(一六二四―四八)の摂津国高帳によると村高二四五石余。領主は五ヶ庄の項参照。西方高山(たかやま)庄(現豊能郡豊能町)のキリシタン大名高山右近の勢力下にあったためか、キリシタンが多かった。禁教令の公布後は隠れキリシタンとして、表向きは下音羽(しもおとわ)村の曹洞宗高雲(こううん)寺の檀家となり、葬式も仏式で行った。天井裏や長押には小さな祭壇を設け、深夜に人目を避けて祈祷が行われたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報