( 1 )「葬式」「葬儀」「葬礼」のうち中世の古辞書類に挙がっているのは「葬礼」だけである。古く「葬礼」は死者をほうむる中国的な礼式をいう一般的な広い意味をもっていた。転訛形のソウレンが全国的に見られることから、庶民の間にも浸透していた語と言えよう。
( 2 )「続日本紀」には、「喪儀」という語も見られるが、「喪儀」は喪葬令に規定された天皇以下、主として官人身分以上の葬送についての規定をいった。「喪儀」は、後に表記が「葬義」〔書言字考節用集〕、「葬儀」に変わり、一般の人々を葬る場合にも使用され、意味用法が拡大した。
( 3 )「葬式」という語が見られるようになるのは、江戸時代の中期以降。
葬送儀礼。日本ではソウレン(葬殮,葬礼)とかノオクリ(野送り)ともよばれる。一般に死の発生から埋葬や火葬などの死体処理までの儀式を葬式とよんでいる。葬式の様相は,別項〈葬制〉の記述にみるように,各時代各地域によって多様であり,複雑である。したがって,日本だけとってみても,その典型的なやりかたというようなものを説明するのは不可能であるが,以下では,日本の各地で伝統的に行われてきたことがらのうち,比較的広くみられたことについて略述する。
(1)死から入棺まで 死が確認されると,末期の水が与えられる。そして老人の場合はただちに葬式の準備にかかるが,若者や産婦には蘇生を願い魂呼び(たまよび)をする所が多い。そしてまた死が自分におよばぬように耳ふさぎのまじないをする。死は親戚や隣保に知らされる。以後,葬式の費用を含めていっさいの仕事は喪家の手から離れ,血の濃い親戚とか隣保の者の手に移る。死を告げる2人1組のヒキャク(飛脚)が立てられ,枕経のために僧侶がよばれる。ここではじめて釈迦の涅槃(ねはん)に模して北枕に寝かし,顔に白布をかける。滋賀県志賀町北小松では白い着物の裾を死者の顔にかける風がある。枕もとには魔よけとして刃物を置き,線香1本,ろうそく1本,別竈で作った枕飯あるいは枕だんごを供える。猫が死者をまたぐことはとくにきらわれる。そして忌中札を立て死者の出た家であることを表示する。夜には講などの人たちによる勤行とヨトギ(通夜)がある。これがすむと血の濃い者がわらだすきに縄帯で湯灌をする。湯灌の前に死者を蒲団でくるんで部屋の中央にあるモタレ柱にもたれさせるところもある(兵庫県篠山市)。湯灌をすませると晒(さらし)1反から数人の婦人が引っぱりあって作った形ばかりの着物を着せる。額には三角頭巾をし,手甲,脚絆(きやはん),わらじばきで,六道銭の入った頭陀袋(ずだぶくろ)もつける。これらのほかは何もつけずに納棺する所もある(滋賀県志賀町北小松,現大津市)。村床が頭をそり,若い女性には化粧をして納棺する。現在は寝棺を使用するがもとは座棺が多かった。このため死体の首とひざに縄をかけて折り曲げた。この縄を極楽縄とか地獄縄とか不浄縄とかいう。屈葬の伝統をひくものであろう。なお,年内に死者が2度続いた場合に3度目がないようにと人形を棺の中に入れることもある。土葬の場合,葬式の午前中に墓人足が4名ほどで深さ1mくらいの墓穴を掘る。墓穴が掘りあがると魔よけのために鍬や竹をわたす。墓人足は重役(おもやく)といい,ノベオクリが終わると,まず喪家でふろに入り,膳には上座につく。
(2)ノベオクリ(野辺送り) 出棺は午後2時から3時ころが普通であるが,もとは夜にしていた所が多い。友引の日は避けることが多い。僧侶の式が終わると縁側から出棺する。〈出立ちの膳〉を食べた後,仮門をくぐり出発する。一把わらで送り火を焚き,生前使用の茶碗を割る。たいまつ,花籠,四本旗,僧侶,盛物,樒(しきみ),傘,杖,位牌,膳飯,灯籠,棺,天蓋,会葬者の順でソウレン道を通って埋葬地まで行く。棺には善の綱が巻かれそれに婦人がつくこともある。兵庫県朝来市では夫を失った妻はかずきをかぶり,冬でも白足袋のはだしでついて行く。この葬列は念仏行者の極楽往生の姿を示す。埋葬地に迎え地蔵あるいは阿弥陀があるところではその前で簡単な式があり,ここで会葬者はひきあげる。このとき喪主とその家族は会葬者に土下座礼をする。
(3)埋葬 北枕にして埋める。滋賀県では早く土に帰るがよいといい,棺の中に血の濃い者から順に土を入れる。そして釘を石で打ってふたをし埋葬する。土盛りをした上に石を置き,卒塔婆(そとば)や喪屋(もや)などを置いて墓飾をする。鎌をたてたりもする。終われば魔よけとしてわら火をたく。帰るときには同じ道を通るな,墓地をふりかえるなという禁忌が一般的にある。輿かきは草履を墓地などにぬぎ捨てて帰り,喪家に入るときには盥(たらい)などで足を洗い塩をふる。生米をかむこともある。そして仕上げの膳につく。三重県ではこのとき四十九の餅を作り,笠の餅は兄弟が敷居越しに背中あわせになりこれを引っぱりあい,大きなほうを長男がとるとか,四十九の餅は葬式の参加者がその場で食べるという。なお,火葬のときは翌日に骨拾いをする。
(4)葬式以後 位牌は中陰(ちゆういん)あけまで仏壇とは別のところでまつる。葬式の翌日は〈二日洗い〉である。49日間,死者の着物を北向けに陰干しにする。そして,初七日の仏事で葬式が終わる。中陰後には香尊がえしをする。産婦が死ぬと血の池地獄に落ちるといい,川施餓鬼(流れ灌頂)をする。高知県では妊娠7,8ヵ月以降の女が死亡したときには,身二つにしてやらねば成仏しないといい,鎌の柄を樫の木にすげ替え,開腹してやるという。7歳以下の子どもは正式な葬式をせず,奈良県や兵庫県では埋葬地でモガリをする。子墓を設ける所もある。
以上は,仏教と関係の深い葬式の例であるが,ほかに儒葬や神葬祭もあり,現在ではさらに多様な形式の葬式が行われている。
→葬式組 →葬制 →墓
執筆者:田中 久夫
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…儒教式の葬祭(葬式と祭祀)をいう。遺体を火葬でなく土葬にすることと遺族が喪に服する期間が長いことを特色とする。…
…香をたいて仏にたむけること。一般的には葬式のとき抹香を3度たいて仏としての死者にささげることをいう。焼香は散華(さんげ)とともに仏教式の葬式では大きな位置を占める。…
…神道式の葬祭(葬式と祭祀)をいう。仏葬,儒葬(じゆそう)に対する名称。…
…さらに重要なことは,このようにして表象された死者は社会的な存在であるということである。したがって,ある社会に見られる葬制は当該社会の親族組織の特徴,地縁組織のあり方,階層分化の存否などを反映しており,加えて死者の年齢や性別といった個人的特徴によっても個々の葬儀・葬式の執行法は異なったものになるのが普通である。これらのことを考えると,葬制のなかには個別社会の特性とその社会のもつ文化の基本的諸前提が具体的に現れていると言ってよい。…
※「葬式」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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