千束郷
せんぞくごう
浅草一帯を総称する中世の郷名。郷内には浅草・鳥越・金杉・石浜・阿佐谷などが含まれていたことが確認される。浅草周辺は浅草寺領、石浜・阿佐谷は鎌倉時代には江戸一族の所領となっていたが、多くは鎌倉幕府・鎌倉府の直轄領であったと考えられる。中心の浅草は古代以来の観音霊場として門前町を形成し、北部の石浜周辺には今津があり、湊町として栄えた。建長五年(一二五三)から文永二年(一二六五)の間のものと推定される年月日未詳の富木常忍宛長専書状(中山法華経寺所蔵天台肝要文裏文書)に「千束郷御年貢米」とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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