日本歴史地名大系 「千町野新田」の解説
千町野新田
せんちようのしんでん
千町村の南西に位置する。同村から
寛永一八年(一六四一)代官野村彦太夫が幕府へ提出した村高書上帳(藤乗家文書)に千町新田は高六〇石余、同新田野の広さは二八町半・一四町とある。寛文二年(一六六二)江戸の紙問屋広島屋治右衛門は、自己資金のほか幕府からの借金によって千町野開発に着手したが、掘割をつくって沼の水を
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
千町村の南西に位置する。同村から
寛永一八年(一六四一)代官野村彦太夫が幕府へ提出した村高書上帳(藤乗家文書)に千町新田は高六〇石余、同新田野の広さは二八町半・一四町とある。寛文二年(一六六二)江戸の紙問屋広島屋治右衛門は、自己資金のほか幕府からの借金によって千町野開発に着手したが、掘割をつくって沼の水を
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