千里城跡(読み)せりじようあと

日本歴史地名大系 「千里城跡」の解説

千里城跡
せりじようあと

[現在地名]砥部町川登

千里山(五八一メートル)上にあり、世梨山せりやま城ともいう。造立年代は不明であるが、大森彦七の城と伝えている。承久の勲功によって得た「砥部之内千足屋敷下・同千足分」三反を大三島領として寄進した文明二年(一四七〇)五月一三日の大森直治寄進状(大山積神社文書)により、早くから大森氏がこの地方を勢力下に置いていたことがわかる。

千里山上には空堀の跡が残っている。字じんもり城山しろやま堂城どうじろなどは城と関係のある地名と考えられる。また、外山の大貝とやまのおおがい城や両沢りようざわ(現伊予市)白滝しらたき城は千里城の出城であるといわれ、相互に合図通達の方法が講ぜられていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む