砥部町(読み)とべちよう

日本歴史地名大系 「砥部町」の解説

砥部町
とべちよう

面積:五七・三一平方キロ

県のほぼ中央部にあり、北と東は松山市に接し、西は松前まさき町と伊予市、南は広田ひろた村に接する。北の松山市との境を重信しげのぶ川が流れる。町域は重信川の左岸に流れ込む砥部川の流域、東西約四・五キロ、南北約一二キロの細長い地域を占める。

中流下流沿いには見事な河岸段丘が発達し、中流の段丘面が最も広くて砥部町の中心集落をなし、下流の段丘上には古くからの街村原町はらまちを形成している。町域の大部分は高度九〇〇メートル以下の四国山地に属し、西南障子しようじ(八八四・九メートル)、南に水梨みずなし(七四二メートル)などがある。古くから砥部焼の名で知られた陶磁器と、約七〇年前から始まった果樹栽培が主産業で、「とべ焼とみかんの町」をキャッチフレーズとしている。


砥部町
とべちよう

2005年1月1日:伊予郡砥部町・広田村合併
【砥部町】愛媛県:伊予郡
【広田村】愛媛県:伊予郡

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「砥部町」の意味・わかりやすい解説

砥部〔町〕
とべ

愛媛県中部,松山市の南西に接する町。 1928年町制。 1955年原町村合体。 2005年広田村と合体。旧中心集落の砥部では,江戸時代初期から付近でとれる陶土を利用して陶器製造が行なわれていたといわれる。安永年間 (1772~81) 以来大洲藩奨励磁器の製造が発達,砥部焼の名で知られた。現在は電気絶縁用碍子,花器・食器類,置物などを製造している。国の伝統産業都市モデル地区に指定されている。第2次世界大戦前は傾斜地でナシ,カキを栽培していたが,現在はミカン栽培が主。南部の山間では林業が盛んであるほか,タバコ,クリを産する。近年松山市の近郊住宅地化が進んでいる。重信川支流の砥部川河床にみられる衝上断層は国の天然記念物。北部の大下田古墳群から子持ち高坏などが出土。南部の権現山は山岳信仰の地。自然の地形をいかした県立とべ動物園がある。国道 33号線が通り,379号線を分岐する。面積 101.59km2。人口 2万480(2020)。

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