半山村(読み)はやまむら

日本歴史地名大系 「半山村」の解説

半山村
はやまむら

[現在地名]葉山村新土居しんどい

新荘しんじよう川中流域、たき山の東麓に位置する。天正一六年(一五八八)の津野半山地検帳に半山谷がみえ、ホノギとして「新トヰ」を記す。「南路志」には羽山谷はやまだに村とある。いつ頃から新土居の称が用いられたか明らかではないが、「土佐州郡志」には「旧名半山、中世為津野備前之守別館、故名曰新土居」とみえ、享徳年中(一四五二―五五)津野之高がこの地に新たに土居を築いたという。

津野半山地検帳によると、半山谷分の地積は四町六反余、ヤシキ一八筆で馬関うまぜきが含まれる。

半山村
はんやまむら

[現在地名]中条町半山

櫛形くしがた山脈の西麓にあり、北を羽黒沢はぐろさわ川、西方小荒こあら(現船戸川)が流れる。北は羽黒村、西は小荒川こあらかわ村に接する。正保国絵図に村名がみえ三〇六石余。村上藩領に属し、宝永六年(一七〇九)幕府領、享保九年(一七二四)以降黒川藩領。正徳三年(一七一三)の中条組二十一ケ村明細帳(新潟大学蔵)によれば田四町八反八畝余・畑八反八畝余・新田四反四畝余で、山御林(源之丞山)一ヵ所・百姓山四ヵ所があった。小物成上納には山手船頭米・荏定納などがあげられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報