津野之高(読み)つの ゆきたか

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「津野之高」の解説

津野之高 つの-ゆきたか

1418-1479 室町時代武将
応永25年生まれ。土佐(高知県)津野荘領主。17歳のとき将軍足利義教(よしのり)に謁し,詩を披露して才能を賞賛された。文明11年3月4日死去。62歳。本姓河野。名は光高(みつたか)とも。通称孫次郎

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の津野之高の言及

【土佐国】より

…このように細川京兆家分国となった土佐ではあったが,南北朝末期から応仁の乱にかけてのおよそ100余年間に永徳年間(1381‐84),1402年(応永9),30年(永享2),51年(宝徳3),56年(康正2)と5度の内乱がみられる。それらは土佐西部の津野之高,佐川某など複数の国人領主連合の反乱であり,しかも伊予の動向と関連している。四国のうち,伊予だけは細川氏の分国化しえなかったが,その伊予への細川氏の介入が河野氏の内訌を生み,河野氏と血縁のあった土佐の津野氏などの反抗を連鎖させたのである。…

※「津野之高」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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