…このように細川京兆家分国となった土佐ではあったが,南北朝末期から応仁の乱にかけてのおよそ100余年間に永徳年間(1381‐84),1402年(応永9),30年(永享2),51年(宝徳3),56年(康正2)と5度の内乱がみられる。それらは土佐西部の津野之高,佐川某など複数の国人領主連合の反乱であり,しかも伊予の動向と関連している。四国のうち,伊予だけは細川氏の分国化しえなかったが,その伊予への細川氏の介入が河野氏の内訌を生み,河野氏と血縁のあった土佐の津野氏などの反抗を連鎖させたのである。…
※「津野之高」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の9月中 (9月後半) のことで,太陽の黄経が 210°に達した日 (太陽暦の 10月 23日か 24日) に始り,立冬 (11月7日か8日) の前日までの約 15日...