南山城跡(読み)なんざんじようあと

日本歴史地名大系 「南山城跡」の解説

南山城跡
なんざんじようあと

[現在地名]久住町白丹

稲葉いなば川の支流家古家けごや川右岸のみなみ(六〇七メートル)の字大知菴だいちあんに築かれた山城。「みなみやま」ともよび白丹しらに城ともいう。大友志賀系図(志賀連文書)によると志賀禅季の息朝郷のとき二家に分れ、重利は南志賀(下ノ志賀)氏を称し、元徳二年(一三三〇)南山城に入ったとある。「豊後国志」には重利の子義天が康応年中(一三八九―九〇)築城したとある。「久住町誌」所載の南山城絵図には、元弘元年(一三三一)から建武元年(一三三四)の築城、天文一三年(一五四四)志賀親貞が再改築したという。当城の麓、近世肥後街道が通る白丹町を城下町としていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android