南庄東村(読み)みなみしようひがしむら

日本歴史地名大系 「南庄東村」の解説

南庄東村
みなみしようひがしむら

[現在地名]久米南町南庄みなみしよう

北庄里方きたしようさとがた村の南に位置し、西は南庄西村稲岡いなおか庄のうち稲岡南庄にかかわる村名と考えられ、「作陽誌」によればもとは南庄村であったが、元禄二年(一六八九)南庄東村・南庄西村に分村したという。正保郷帳では南庄村として田五二三石余・畑二八七石余。元禄一〇年の美作国郡村高辻帳では改出高一八六石余・開高五四石余、村位は中。同年の美作国郷村帳には南庄村のうち東村とあり、高五一五石余。「作陽誌」では家数五五で、人数は東西合せて男三八四・女二九一。津山藩森氏断絶後の領主変遷は北庄里方村と同様。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android