日本大百科全書(ニッポニカ) 「南杣笑楚満人」の意味・わかりやすい解説
南杣笑楚満人
なんせんしょうそまひと
(1749―1807)
江戸後期の洒落本(しゃれぼん)・黄表紙(きびょうし)・合巻(ごうかん)作者。本名楠(くすのき)彦太郎、別号志筍斎(しじゅんさい)、杣人(そまひと)、曽満人(そまひと)など。江戸の芝(港区)に住み鞘(さや)師や書店を営んだが、1783年(天明3)『敵討三味線由来(かたきうちさみせんのゆらい)』ほか4種の黄表紙を書き戯作(げさく)者となった。当時は滑稽(こっけい)感の濃い黄表紙の全盛時代であったが、楚満人は敵討や軍記の英雄など伝奇色の強い作品を書き続けた。95年(寛政7)『敵討義女英(ぎじょのはなぶさ)』を出し大当りをとり、以後、黄表紙は一転して敵討物の趣向が大部分となり、1807年(文化4)以後の合巻にも及んでいる。物語の構成力はもっており、趣向は類型的ではあったが、悲劇を複雑に仕組んだのが読者の好みに合致し、没年まで書き続けた。2世楚満人を一時為永春水(ためながしゅんすい)が名のった。
[小池正胤]