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敵討 かたきうち

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

敵討
かたきうち

「あだうち」ともいい,「仇討」「復讐」などの字をあてる。主人や親兄弟を殺した者を討取って恨みを晴らすこと。古代から行われ,「記紀」にすでに,安康天皇3年,眉輪王が父大草香皇子の殺されたのに対し,安康天皇を弑したという記事がみえる。

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百科事典マイペディアの解説

敵討【かたきうち】

仇討(あだうち)とも。私闘の一形態で,親属集団,主従集団など種々の集団のメンバーへの攻撃に対して同じ集団に属するメンバーが実力的復讐(ふくしゅう)行為をすること。
→関連項目私刑

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世界大百科事典 第2版の解説

かたきうち【敵討】

私闘の一形態。
【中世】
 日本の中世社会においては,生存権をふくめた諸権利を自分(個人ではなく集団)の手で守るために実力を行使し,またこれらの諸権利に対する侵害に対して実力で報復する私闘が広く存在した。ここでは,親族集団を中心とし,主従集団など種々の集団のメンバーの攻撃に対する同じ集団に所属するメンバーの実力的復讐行為をすべて敵討と称していた。このような復讐そのもののありかたは,古くから世界諸民族に共通してみられ,種族保存の本能にもとづくものとされているが,日本の場合,親の敵討が他の復讐と異なった特別の観念にささえられ,他民族にみられるような賠償制を定着させることなく近代にまで継続したところにその特殊性がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

敵討
かたきうち

「あだうち」ともいい、普通、君父を殺した者を討ち取って怨(うら)みを晴らすことを意味する。まれには母、祖父母、夫、妻、子、兄弟姉妹、伯叔父のため、あるいは師、友人のためにもこれを行った例がある。一種の私刑で、法の権威が確立するまでのいわばやむをえない風習であるので、古くは東西両洋の各地にみられ、現在でも未開社会では行われる場合がある。文明社会でも、暴力団などにそれが行われることは、われわれの見聞するとおりである。しかしわが国では、1873年(明治6)2月法律によって禁止されたので、社会的に公認された敵討はもはや存在しない。それが社会的に公認もしくは賞賛されたのは封建時代、ことに江戸時代で、記録に残る件数だけでも100件を超えるから、実際ははるかにそれより多かったであろう。そのなかでとくに有名になったのは、1702年(元禄15)12月に決行された大石良雄(よしお)以下47人による赤穂浪士(あこうろうし)事件で、この事件を題材にした歌舞伎(かぶき)・浄瑠璃(じょうるり)の脚本だけでも、竹田出雲(いずも)作『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』をはじめ約400本を数え、江戸時代の芝居の正月興行はこの忠臣蔵か曽我物(そがもの)を上演するのを吉例としていた。近年まで、映画や芝居の観客動員が不振になると忠臣蔵をピンチヒッターとして起用すれば景気が持ち直すとされ、忠臣蔵はこの世界のドル箱的存在とみられてきた。
 そのように、忠臣蔵の影響力は封建時代に限られていないが、敵討そのものも封建時代特有のものではなかった。曽我兄弟の敵討は1193年(建久4)富士の裾野(すその)を舞台として行われ、それが『曽我物語』をはじめとする多くの物語、浄瑠璃、謡曲などの題材となった。曽我事件は、赤穂浪士事件が主君のための集団的敵討であったのに対して父のための兄弟2人の敵討であった点が異なっているが、記紀にみえる安康(あんこう)天皇3年に眉輪(まよわ)王が安康天皇を弑(しい)した事件も、眉輪王の父大草皇子を殺したのに対する敵討であった。この事件は5世紀中ごろの話で、わが国における敵討の記録としてはもっとも古い。その後、曽我兄弟の事件があり、1332年(元弘2)ごろ、元弘(げんこう)の変の影響を受けて斬(き)られた日野資朝(すけとも)の子の阿新(くまわか)は、佐渡で父を殺した本間山城入道の次男三郎を斬って島を脱出した。そのいきさつは『太平記』にくわしいが、これも父のための敵討として知られている。
 したがって、敵討が封建時代特有の習俗でなかったことが明らかであるが、これを封建時代の美徳として推賞する風潮がかつてはあった。日本弘道会の開祖泊翁(はくおう)西村茂樹(しげき)は、1891年(明治24)2月の明治会演説で「本邦の三美風」として復讐(ふくしゅう)、自殺、帯刀(たいとう)を取り上げ、そのうちの復讐は俗語の敵討であって、このことは『礼記(らいき)』の「父ノ讐(あだ)ハ與(とも)ニ天ヲ戴(いただ)カズ、兄弟ノ讐ハ兵ニ反セズ、交遊ノ讐ハ国ヲ同ジウセズ」の語より出たに相違ないが、「本邦人民の忠孝に厚くして勇武に長じ、恥を知るの深きよりして之(これ)を実行する者多く、世人も亦(また)之を感称して措(お)かざること」であって、「忠臣孝子の至情にして又(また)天理に協(かな)ふ所の善行」であると評価している。泊翁の意図は「国民の志気を奮興し、国威の拡張を助くべき」風俗としてこれを推賞しているのであって、いうまでもなく、これをそのまま現在に復活しようというのではない。[古川哲史]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の敵討の言及

【仇討物】より

敵討を主題とした文学・芸能の一系統。敵討物(かたきうちもの)ともいう。…

【妻敵討】より

…姦通をした姦夫を本夫が殺害すること。中世においては敵討,妻敵討と併称されて盛んに行われた。《御成敗式目》の密懐(びつかい)法(34条)などの姦夫の刑罰では所領没収刑などが規定されているが,一般社会においては,自力救済観念に基づき,本夫が姦夫を討つべしとする社会通念が強く存在し,本夫が妻のもとに通ってくる姦夫を自宅内で現状をおさえ殺害する妻敵討が慣習として定着していた。…

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