日本歴史地名大系 「南滋賀村」の解説 南滋賀村みなみしがむら 滋賀県:大津市中部地域南滋賀村[現在地名]大津市南志賀(みなみしが)一―四丁目・神宮町(じんぐうちよう)・勧学(かんがく)一―二丁目・鏡(かがみ)が浜(はま)・南志賀町錦織(にしこおり)村の北にあり、東は琵琶湖に面する。江戸時代の郷帳類では南滋賀村一村として高付されるが、地方文書には東部を占める正興寺(しようこうじ)村(正光寺村)と西部の新在家(しんざいけ)村の二村としてみえる場合が少なくない。中世は北の見世(みせ)・赤塚(あかつか)二村を含め志賀庄または志賀南北庄として推移する。文禄五年(一五九六)一〇月一五日付で「南志賀村」八九〇石余などを延暦寺領とする通達がなされているが、内訳は本高四四〇石余に対し同年の検地出来高が四五〇石余で二倍になっている(叡山天正再興記)。慶長三年(一五九八)一二月の三井寺寺領目録(園城寺文書)には「南志賀」八九〇石とあり、園城(おんじよう)寺領としては元禄郷帳以後六九七石余で推移する。寛永石高帳では円満(えんまん)院領二一五石余を含む一千一〇五石余が村高である。慶長四年園城寺の金堂(弥勒堂)再建に伴う石垣普請では当村と見世村が請負っている(園城寺旧記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by