南片辺村
みなみかたべむら
南は戸中村、北は北片辺村。背後は金北山嶺。口碑によると古くは南片辺を南所、北片辺を北所と称し、もとは一村であったという。両村とも同一の湾入部に集落がひしめいており、地名の起りを潟辺とみる古老もいる。元禄七年(一六九四)の検地帳(南片辺区有)では田二〇町二反余・畑四町九反余。北片辺・石花・相川からの入作がある。明和六年(一七六九)の村明細帳(同区有)によると、田二五町一反余・畑五町一反余。戸口は五〇軒・二四三人、牛七三疋。農間は、男は薪を伐出し相川町へ積送り、女は級木から裂織を織る。シナや山苧は、野良着をつくる衣料原料として大切にされ、昭和一〇年代まで村のほとんどの女子は裂織が上手であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 