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南蘋派 ナンピンハ

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デジタル大辞泉の解説

なんぴん‐は【南×蘋派】

江戸時代、日本画の流派の一。享保年間(1716~1736)に長崎に渡来した清の画家、沈南蘋(しんなんぴん)の影響を受け、花鳥画を主とした。

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大辞林 第三版の解説

なんぴんは【南蘋派】

1731年長崎に来た清の沈南蘋しんなんぴんの系統を伝える日本画の一派。熊斐ゆうひ・宋紫石そうしせきなど。写実的な花鳥画を特色とする。

出典|三省堂
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世界大百科事典内の南蘋派の言及

【沈銓】より

…80余歳で卒した。【古原 宏伸】 沈銓は長崎滞在中に熊斐(ゆうひ)に画法を伝え,熊斐の門下から宋紫石,鶴亭,熊斐文,真村芦江(まむらろこう),諸葛監(しよかつかん),森蘭斎,建部凌岱(たけべりようたい)などの画家が出たが,これらを総称して南蘋派という。彼の画風は鶴亭や宋紫石らにより近畿や関東に伝えられ,江戸後期にはほぼ全国に普及して,南蘋派以外でも円山四条派,南画,洋風画などの諸画派がその直接間接の影響を受けた。…

【長崎派】より

…(2)漢画派は,1644年(正保1)に来朝した黄檗僧逸然(1600か01‐68)を祖とし,河村若芝(1629か38‐1707),渡辺秀石(1639‐1707)らが謹厳な北宗画風の絵を描き,秀石は唐絵目利職につくなど,長崎派の主流となった。(3)南蘋(なんぴん)派は,1731年(享保16)に渡来した沈銓(しんせん)(南蘋)にはじまる。精緻な花鳥画の画風は南蘋に直接師事した熊代熊斐(ゆうひ)(1693‐1772)の門下の鶴亭(?‐1785),宋紫石(1716‐80)により近畿や関東に伝わり,江戸後期の画壇に写実主義の風潮がひろまる契機となった。…

※「南蘋派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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