…80余歳で卒した。【古原 宏伸】 沈銓は長崎滞在中に熊斐(ゆうひ)に画法を伝え,熊斐の門下から宋紫石,鶴亭,熊斐文,真村芦江(まむらろこう),諸葛監(しよかつかん),森蘭斎,建部凌岱(たけべりようたい)などの画家が出たが,これらを総称して南蘋派という。彼の画風は鶴亭や宋紫石らにより近畿や関東に伝えられ,江戸後期にはほぼ全国に普及して,南蘋派以外でも円山四条派,南画,洋風画などの諸画派がその直接間接の影響を受けた。…
…(2)漢画派は,1644年(正保1)に来朝した黄檗僧逸然(1600か01‐68)を祖とし,河村若芝(1629か38‐1707),渡辺秀石(1639‐1707)らが謹厳な北宗画風の絵を描き,秀石は唐絵目利職につくなど,長崎派の主流となった。(3)南蘋(なんぴん)派は,1731年(享保16)に渡来した沈銓(しんせん)(南蘋)にはじまる。精緻な花鳥画の画風は南蘋に直接師事した熊代熊斐(ゆうひ)(1693‐1772)の門下の鶴亭(?‐1785),宋紫石(1716‐80)により近畿や関東に伝わり,江戸後期の画壇に写実主義の風潮がひろまる契機となった。…
※「南蘋派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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