日本大百科全書(ニッポニカ) 「南蛮医学」の意味・わかりやすい解説
南蛮医学
なんばんいがく
室町時代末期から江戸時代の初めにかけて、南蛮人(ポルトガル人、スペイン人)によって日本に伝えられた医学。とくに外科を主として伝えたため、南蛮流外科ともいわれる。
南蛮人の渡来により直接日本に紹介された文化のなかでもっとも影響を及ぼしたのはキリスト教であったが、当時、南蛮人は医療をキリスト教布教のための有力な手段とした。したがって南蛮医学はキリスト教の日本における消長と密接な関係にあった。その布教の初期に宣教師が試みた医療まがいの行為は、医療に縁のなかった当時の一般庶民に歓迎された。真の意味で南蛮医学を日本に紹介し実施したのは、ポルトガルのアルメイダであった。彼は医学を専門とする者ではなかったが、1555年(弘治1)に来日して以降、宣教医として活躍した。56年、豊後(ぶんご)国(大分県)の府内に育児院を設け、それに隣接して病院を建てて幼児を収容し、一般患者を診療した。その成果は大いにあがったが、イエズス会の会則改正により宣教医の医療活動が禁止され、そのうえキリスト教の布教が厳しく弾圧される事態となり、南蛮医学もしだいに衰えていった。しかし、キリスト教が弾圧を受けながらも、いわゆる隠れキリシタンによって命脈を保ったように、南蛮医学もまた局地的に潜行して行われ、その伝統を江戸時代に入っておこったオランダ医学に伝えた。
[大鳥蘭三郎]