フェレイラ(読み)ふぇれいら(英語表記)Christóvão Ferreira

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フェレイラ」の意味・わかりやすい解説

フェレイラ
ふぇれいら
Christóvão Ferreira
(1580―1650)

日本名沢野忠庵(さわのちゅうあん)。転び伴天連(バテレン)。ポルトガルのジブレイラに生まれ、1596年イエズス会に入会。1609年(慶長14)ごろ来日し、京都、大坂など上方(かみがた)を中心に布教活動を行い、1632年(寛永9)同会日本管区長となる。キリスト教迫害下の長崎に潜伏中、1633年に捕らえられ、過酷な穴吊(づ)りの拷問にあって、耐えきれず棄教した。その後、沢野忠庵の名で幕府のポルトガル通詞(つうじ)となり、またキリシタン検索のために行われた宗門改(あらため)に協力して、「目明し忠庵」とよばれた。キリシタン排撃の書である『顕偽録』(1636)を著したほか、鎖国下の日本に西洋医学や天文学を伝えた『天文備用』(1644)、『南蛮外科秘伝書』などがあり、蘭学(らんがく)発展の基礎をつくった。

[磯見辰典 2018年2月16日]

『古賀十二郎著『長崎洋学史』(1966・長崎文献社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フェレイラ」の意味・わかりやすい解説

フェレイラ
Ferreira, Cristovão

[生]1580. トレスベドラス
[没]1650.11.4/5. 日本
日本名は沢野忠 (仲) 庵。ポルトガルのイエズス会司祭。 1596年 12月イエズス会に入り,のちマカオを経て,1609年5月 16日来日,布教に成功を収め,32年 12月 23日同会の日本管区長となった。寛永 10 (1633) 年長崎で捕えられ,迫害拷問の末転向を表明,沢野忠庵と名のり長崎に住んで江戸幕府の通詞をつとめ,宗門改め役に協力して目明かし忠庵と呼ばれた。同 13年キリスト教を反駁した『顕偽録』を刊行した。また『天文備用』 (1644) ,『南蛮流外科秘伝書』 (のち『阿羅陀外科指南』と改題) を著わして向井元升,西玄甫らの門人に西洋学術を伝え,蘭学への道を開いた。晩年に信仰を再び表わし,刑死したと伝えられる。

フェレイラ
Ferreira, António

[生]1528. リスボン
[没]1569. リスボン
ポルトガルの詩人コインブラ大学で法律を学び,人文主義者ディオーゴ・デ・テーベと交わる。リスボンで判事をしていたときに,ペストで死亡。代表作の悲劇カストロ』A Castro (1557執筆,87刊) は古典劇の傑作で,詩人ガルシア・デ・レゼンデによって始められたテーマである,王子ペドロと美しい女官イネース・デ・カストロの悲恋を扱ったものである。2つの喜劇『ブリスト』 Bristoと『嫉妬深い男』 Cioso (ともに 1622刊) がある。詩作品は『ルジターニアの詩』 Poemas Lusitanos (1598) に収められている。

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