20世紀日本人名事典 「南部光臣」の解説 南部 光臣ナンブ ミツオミ 明治・大正期の男爵 宮中顧問官;貴院議員。 生年元治2年2月25日(1865年) 没年昭和6(1931)年7月3日 出身地京都府 学歴〔年〕帝国大学法科大学英法科〔明治25年〕卒 経歴公卿・烏丸光徳(のち伯爵)の三男に生まれ、枢密顧問官・男爵の南部甕男の養子となり、大正12年家督を相続し襲爵。明治25年内務省に入り、香川県参事官、内務書記官、内務省土木局長を経て、群馬県知事、帝室林野管理局長官、宮内省参事官などを歴任、のち宮中顧問官となる。この間、梨本宮宮務監督、同宮付別当、皇室財産令施行準備委員長などを務める。35年ドイツで開催の第9回万国航海会議に出席のため渡航し、ついで欧米各国を視察した。大正14年から貴院議員。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「南部光臣」の解説 南部光臣 なんぶ-みつおみ 1865-1931 明治-大正時代の官僚。元治(げんじ)2年2月25日生まれ。烏丸光徳(からすまる-みつえ)の3男。南部甕男(みかお)の養子となる。明治25年内務省にはいり,土木局長をへて群馬県知事,帝室林野管理局長官などをつとめた。のち宮中顧問官,貴族院議員。昭和6年7月3日死去。67歳。帝国大学卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by