南部甕男(読み)ナンブ ミカオ

20世紀日本人名事典 「南部甕男」の解説

南部 甕男
ナンブ ミカオ

江戸時代末期〜大正期の司法官,男爵 大審院院長;枢密顧問官



生年
弘化2年6月15日(1845年)

没年
大正12(1923)年9月19日

出生地
土佐国高岡郡大野見郷熊秋村(高知県)

別名
通称=南部 静太郎,号=南陽

経歴
若い頃から国事に奔走し、文久3年(1863年)京都に赴き尊皇攘夷運動に参加。明治維新では官軍に加わって各地を転戦する。明治2年兵部小録、4年司法権少判事となり、大阪、長崎などの裁判所長歴任。14年司法権大書記官、司法省民事局長、高等法院予備裁判官、大審院部長、東京控訴院長などを務め、29〜39年大審院長。同年男爵。のち枢密顧問官に任じ、宗秩寮審議官を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「南部甕男」の解説

南部 甕男
ナンブ ミカオ


肩書
枢密顧問官

別名
通称=南部 静太郎 号=南陽

生年月日
弘化2年6月15日(1845年)

出生地
土佐国高岡郡大野見郷熊秋村(高知県)

経歴
若い頃から国事に奔走し、文久3年京都に赴き、明治維新では官軍に加わって各地を転戦する。明治2年兵部小録となり、4年司法権少判事となり、以後大阪、長崎などの裁判所長となる。14年司法権大書記官。以後司法省民事局長、高等法院予備裁判官、大審院部長、東京控訴院長、大審院長などを歴任。のち、枢密顧問官に任じ、宗秩寮審議官を務める。

没年月日
大正12年9月19日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「南部甕男」の解説

南部甕男

没年:大正12.9.19(1923)
生年:弘化2.6.15(1845.7.19)
明治大正期の司法官。土佐(高知)藩士南部従吾の長男として,高岡郡大野見郷熊秋村(高知県高岡郡)に生まれる。号は南陽。通称静太郎。幼時より奥宮慥斎に就いて陽明学を学ぶ。文久3(1863)年藩命で京都に赴き,尊皇攘夷運動に参加。8月18日の政変では三条実美らの七卿落ちに随行戊辰戦争で各地を転戦後,明治1(1868)年12月兵部少録として新政府に出仕。4年11月司法大解部となり以後大阪をはじめ各地の裁判所長を歴任。大審院部長,大審院長心得,東京控訴院長を経て,29年10月大審院長。同年6月男爵を授けられた。39年7月大審院長を退職,枢密顧問官となる。<著作>『七生日録』

(楠精一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「南部甕男」の解説

南部甕男 なんぶ-みかお

1845-1923 明治-大正時代の司法官。
弘化(こうか)2年6月15日生まれ。もと土佐高知藩士。奥宮慥斎(ぞうさい)に陽明学をまなび,京都で尊攘(そんじょう)運動にくわわる。維新後,各地の裁判所長,東京控訴院長などをへて,大審院長をつとめた。枢密顧問官。大正12年9月19日死去。79歳。通称は静太郎。号は南陽。名は「かめお」ともよむ。

南部甕男 なんぶ-かめお

なんぶ-みかお

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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