南部利恭(読み)ナンブ トシユキ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「南部利恭」の解説

南部 利恭
ナンブ トシユキ


肩書
盛岡藩知事

生年月日
安政2年10月9日(1855年)

出生地
睦奥国盛岡(岩手県)

経歴
明治元年父利剛が朝敵となった責任を問われて隠居した後を継ぎ、13万石に減俸されて宮城県白石に転封された。のち70万両献金条件に盛岡に復帰し、盛岡藩知事に就任、2年版籍奉還により盛岡県となり、ここに盛岡藩は消滅した。17年伯爵を授けられた。

没年月日
明治36年10月19日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「南部利恭」の解説

南部利恭 なんぶ-としゆき

1855-1903 明治時代の大名,華族
安政2年10月9日生まれ。南部利剛(としひさ)の長男。明治元年陸奥(むつ)盛岡藩主の父が朝敵として所領20万石を没収のうえ隠居させられたため家督をつぎ,岩代(いわしろ)白石(宮城県)13万石に転封となる。翌年新政府への70万両の献金を条件に盛岡に復帰。伯爵。明治36年10月19日死去。49歳。初名は剛毅通称彦太郎

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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