南部 辰丙
ナンブ シンペイ
明治・大正期の陸軍中将
- 生年
- 安政3年4月10日(1856年)
- 没年
- 昭和6(1931)年2月21日
- 出身地
- 加賀国金沢(石川県)
- 学歴〔年〕
- 陸士卒
- 経歴
- 明治6年陸軍教導団に入り、8年陸軍士官学校に転じる。西南戦争に従軍して、10年陸軍少将に任官。のち陸軍士官学校、陸軍戸山学校教官を経て、ドイツ留学を命じられ帰国。日清戦争では第1軍管理部長、のち歩兵第42連隊長、東部都督部参謀となる。日露戦争では歩兵第6連隊長として出征。歩兵第5旅団長、38年陸軍士官学校校長、44年中将となり下関要塞司令官を務め、45年憲兵司令官、大正4年第2師団長などを歴任。その後、待命となり戦友共済生命顧問を務めた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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南部辰丙 なんぶ-しんぺい
1856-1931 明治-大正時代の軍人。
安政3年4月10日生まれ。西南戦争に従軍後,日清(にっしん)戦争では第一軍管理部長,日露戦争では歩兵第六連隊長としてたたかう。のち陸軍士官学校長,憲兵司令官,第二師団長などを歴任。陸軍中将。昭和6年2月21日死去。76歳。加賀(石川県)出身。陸軍士官学校卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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