印藤真楯(読み)インドウ マタテ

20世紀日本人名事典 「印藤真楯」の解説

印藤 真楯
インドウ マタテ

明治期の洋画家



生年
文久1年5月15日(1861年)

没年
大正3(1914)年

旧姓(旧名)
千葉

学歴〔年〕
工部美術学校〔明治11年〕中退

経歴
明治5年川上冬崖師事。9年工部美術学校開設と同時に入学し、フォンタネージに師事。11年フォンタネージの後任フェレッティの教えに不満を持つ同志と退学し、十一会を結成。13年東大3学部傭となる一方、私塾丹青舎を開き、西洋画と幾何学を教える。14年内国勧業博に「晩照馬車図」で褒状を受ける。30年頃京都に移住し、39年再上京。挿絵画法書の製作にも注力し、24年東海散士著「佳人之奇遇」にジャック・カロの版画の摸写をのせている他、「高等小学帝国習画帖」「幾何画法」を刊行。39年の「油絵楷梯」は初心者用入門書としては最も早い例として注目される。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「印藤真楯」の解説

印藤真楯 いんどう-またて

1861-1914 明治-大正時代の洋画家。
文久元年5月15日生まれ。川上冬崖(とうがい)にまなび,明治9年工部美術学校に入学,フォンタネージに師事。11年中退,小山正太郎らと十一会を結成。13年私塾丹青舎をひらく。14年内国勧業博覧会に「晩照馬車図」を出品,褒状をうけた。大正3年死去。54歳。旧姓は千葉。共著に「油絵楷梯」「高等小学帝国習画帖」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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