原中村(読み)ならばらなかむら

日本歴史地名大系 「原中村」の解説

原中村
ならばらなかむら

[現在地名]美作町楢原中

楢原下村の北東梶並かじなみ川左岸に立地し、平坦地がみられる。正保郷帳に村名がみえ、田三二〇石・畑七一石余。元禄一〇年(一六九七)美作国郡村高辻帳では改出高七〇石余・開高二石余、村位は中。津山藩森氏断絶後の領主変遷下倉敷しもくらしき村と同様。享保九年(一七二四)の村明細帳(町史編纂報告書)によれば、田二六町余・分米三七九石余、畑七町余・八二石余で、上田四町余・中田九町余・下田一二町余。家数三九、男一〇九・女八九で、本百姓二八軒・水呑一一軒。入作も多く、同年段階では田殿たどの村・北山きたやま村・楢原下村・楢原上村と南海なんがい(現作東町)の五ヵ村の入会高は一一五石余に上る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む