田殿村(読み)たどのむら

日本歴史地名大系 「田殿村」の解説

田殿村
たどのむら

[現在地名]東城町もり 田殿

森村南西に位置し、北東いい山がそびえる。飯山の西方中の芝山なかのしばやまの谷を水源とし東南流する田殿川は、村内南部のごうで北東流して森村に入る。集落は田殿川に沿って開けた村域南部のやや広い平地の周辺に散在する。古く鉄穴流しによって開かれた村と考えられ、郷の地辺りに不自然な山容がみられる。

村高は、慶長六年(一六〇一)の地詰帳(「国郡志下調書出帳」所収)では畝数一九町五反余で高一〇五石余とあるが、元和五年(一六一九)の備後国知行帳によれば一一三石余。寛永一五年(一六三八)の地詰帳(前記書出帳所収)では畝数三〇町二反余で高一八三石余と大幅に増高され、以後変化はない。


田殿村
たどのむら

[現在地名]美作町田殿

楢原中ならばらなか村の北東にある。梶並かじなみ川左岸に立地し、対岸和田わだ村。村の南部に大将たいしようじん(三三一・五メートル)がひかえ、倉敷くらしき村から古町ふるまち(現大原町)を経て因幡に至る往来が通る。近世吉野よしの郡に属した。鎌倉期末には室町院領で(「室町院所領目録」八代恒治氏旧蔵文書)、「看聞御記」応永二六年(一四一九)一一月二四日条に「美作国田殿庄」とみえ、代官職をめぐって蔭蔵主と守護赤松氏の被官が対立していた。


田殿村
たどのむら

[現在地名]五條市田殿町

吉野川支流、ひがしノ川東方傾斜地の村。西は紀伊国伊都いと只野ただの(現和歌山県橋本市)。只野は「紀伊続風土記」に「慶長検地帳に田戸野村とあり。谷の中にあり、両山対立して中間に谷川一条あり、是を紀和の界とす。(中略)古は田殿と書す。今は大和に田殿あり、只野と相対して一細流を隔つるのみ。旧は一村なり、国堺古と変りしより分れて二箇村となり文字を以て分ちしなり」とあり、当村は近世以前には紀伊国に属した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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