20世紀日本人名事典 「原光雄」の解説 原 光雄ハラ ミツオ 昭和・平成期の大学教授,化学者 元・大阪市立大学教授。 生年明治42(1909)年8月5日 没年平成8(1996)年10月20日 出生地山梨県北巨摩郡白州町 学歴〔年〕京都帝大理学部化学科〔昭和9年〕卒 経歴昭和11年から「唯物論研究」に自然弁証法に関する論文を発表、12年寺田寅彦の物理学研究に対する態度を批判、話題となった。京大講師を経て、川崎重工業に入社。科学の方法論を近代化学史の研究の中に見出し「科学史研究」に発表、戦後21年「自然弁証法の研究」にまとめた。27年大阪市立大学助教授、のち教授。48年定年退職。その後、阪南大学教授を務めた。著書に「自然弁証法」「化学入門」、訳書にミハイル・イリン「燈火の歴史」など。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「原光雄」の解説 原光雄 はら-みつお 1909-1996 昭和-平成時代の科学論・科学史研究者。明治42年8月5日生まれ。昭和13年川崎重工業にはいる。31年大阪市立大教授となる。のち阪南大教授。12年寺田寅彦の物理学研究に対する態度を批判。近代化学史研究を通じて科学の方法論を「自然弁証法の研究」としてまとめた。平成8年10月20日死去。87歳。山梨県出身。京都帝大卒。著作に「化学入門」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by