原 忠順
ハラ タダユキ
- 肩書
- 貴院議員(多額納税)
- 別名
- 旧称=弥太右衛門
- 生年月日
- 天保5年8月21日(1834年)
- 出生地
- 肥前国鹿島(佐賀県)
- 経歴
- 佐賀藩の支藩鹿島藩の藩士。藩命で江戸昌平黌に学び、高杉晋作ら諸藩の志士と親交を結ぶ。文久3年藩主鍋島直彬に従って上洛、公武間の周旋にあたり、慶応3年王政復古の発布前後には、佐賀藩論を勤王へ導いた。維新後は藩政改革に従事し、明治5年直彬と共にアメリカヘ留学、「米政撮要」を著わした。一時中央政府に入ったが、12年直彬の初代沖縄県令就任に伴い、同県大書記官となる。14年帰郷して殖産興業に尽し、22年多額納税者として貴院議員となった。
- 没年月日
- 明治27年10月28日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
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原忠順 はら-ただゆき
1834-1894 幕末-明治時代の武士,政治家。
天保(てんぽう)5年8月21日生まれ。肥前鹿島(かしま)藩(佐賀県)藩士。藩命で江戸の昌平黌(しょうへいこう)にまなぶ。藩主鍋島直彬(なべしま-なおよし)の側近として藩論を尊王にまとめた。明治5年アメリカに留学し「米政撮要」をあらわす。のち沖縄県大書記官,貴族院議員。明治27年10月28日死去。61歳。通称は弥太右衛門。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の原忠順の言及
【鍋島直彬】より
…幕末期の肥前国鹿島藩藩主,のち初代沖縄県令。1848年(嘉永1)に家督を継ぎ,家老に原忠順を起用して藩政改革を行う。尊攘論に共鳴し,68年(明治1)の戊辰戦争には北陸道の先鋒を担う。…
※「原忠順」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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