原田熊吉(読み)ハラダ クマキチ

20世紀日本人名事典 「原田熊吉」の解説

原田 熊吉
ハラダ クマキチ

明治〜昭和期の陸軍中将



生年
明治21(1888)年8月8日

没年
昭和22(1947)年5月28日

出生地
東京

学歴〔年〕
陸大〔大正5年〕卒

経歴
昭和7年関東軍参謀、10年近衛歩兵第4連隊長、13年中支那派遣軍特務部長、14年中将。15年第35師団長、17年第27師団長を歴任。同年第16軍司令官としてジャワ占領後の軍政担当。18年ジャワの住民指導者に政治参加許可を通知。19年司令官告諭で軍政協力団・ジャワ奉公会結成。20年第55軍司令官、次いで四国軍管区司令官となり本土防衛軍を指揮。同年5月シンガポール戦犯に指名され、刑死

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「原田熊吉」の解説

原田熊吉 はらだ-くまきち

1888-1947 大正-昭和時代前期の軍人
明治21年8月8日生まれ。関東軍参謀,第三十五師団長,第二十七師団長などを歴任。昭和14年中将。17年第十六軍司令官として占領後のジャワの軍政を担当。昭和22年5月28日捕虜虐待の罪にとわれ,シンガポールで刑死した。60歳。香川県出身。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む