新撰 芸能人物事典 明治~平成 「原静枝」の解説 原 静枝ハラ シズエ 職業女優 本名原田 静枝 生年月日大正4年 9月27日 出生地東京市(東京都) 学歴相愛高女卒 経歴昭和7年新進女優・桂珠子の推薦により新興キネマに入社、桂珠子主演「太陽の娘」で映画デビュー。身長165センチ、体重60キロという大柄な体躯で注目され、以後も桂珠子主演「ふらんす人形」、鈴木澄子主演「侠艶録」(8年)、「春の目醒め」(9年)などで特異なパーソナリティを発揮した。10年1月兵士を見送る京都駅ホームで起きた死者76名という群衆転倒事件の折、その犠牲者のひとりとして圧死し、溝口健二監督「神風連」(9年)が最後の映画となった。 没年月日昭和10年 1月8日 (1935年) 出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「原静枝」の解説 原 静枝ハラ シズエ 昭和期の女優 生年大正4(1915)年9月27日 没年昭和10(1935)年1月8日 出生地東京市 本名原田 静枝 学歴〔年〕相愛高女卒 経歴昭和7年新進女優・桂珠子の推薦により新興キネマに入社、桂珠子主演「太陽の娘」で映画デビュー。身長165センチ、体重60キロという日本女性としては珍しく大柄な体軀で注目され、以後も桂珠子主演「ふらんす人形」、鈴木澄子主演「俠艶録」(8年)、「春の目醒め」(9年)などで特異なパーソナリティを発揮した。10年1月兵士を見送る京都駅ホームで起きた死者76名という群衆転倒事件の折、その犠牲者のひとりとして圧死し、溝口健二監督「神風連」(9年)が最後の映画となった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「原静枝」の解説 原静枝 はら-しずえ 1915-1934 昭和時代前期の映画女優。大正4年9月27日生まれ。昭和7年新興キネマにはいり,「太陽の娘」でデビュー。「ふらんす人形」のダンサーなどを演じる。昭和9年1月8日呉海兵団入営者の見送りに京都駅にでかけた際,群衆が階段で将棋倒しとなり,圧死者77名がでた事故の犠牲者のひとりとなった。20歳。東京出身。相愛高女卒。本名は原田静枝。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by