日本大百科全書(ニッポニカ) 「参行禄王」の意味・わかりやすい解説
参行禄王
さんぎょうろくおう
(1746―1809)
江戸中・後期の富士講教理組成者。出生は京都と伝えられているが、前半生については全く不詳。1767年(明和4)富士講元祖食行身禄(じきぎょうみろく)妻お吟の養子になり、2世伊藤伊兵衛を名乗る。当時江戸市中に流行していた富士講の動向を食行の教えに反するものと主張して孤立する。晩年は孤独のなかに本業の彫金仕事で生計を立てながら、著作に専念して『三光之巻』『四民之巻』をはじめ、のちの不二道(ふじどう)の基本教典を多く残した。1809年(文化6)に小谷三志(こたにさんし)に法脈と、先師食行と自身の著作を伝え「天の御用は済んだ」と断食入定(だんじきにゅうじょう)した。墓は埼玉県川口市桜町の真言宗智山派地蔵院。小谷三志墓域中に建つ。著作は『鳩ヶ谷市の古文書』(鳩ヶ谷市教育委員会)に所収されている。
[岡田 博]
『井野辺茂雄著『富士の信仰』複製(浅間神社社務所編『富士の研究3』所収・1973・名著出版)』▽『鳩ケ谷市文化財保護委員会編『鳩ヶ谷市の古文書4』(1978・鳩ヶ谷市教育委員会)』