日本歴史地名大系 「友延村」の解説 友延村とものぶむら 岡山県:備前市友延村[現在地名]備前市友延山陽道伊里中(いりなか)村南方、麻宇那(あさうな)村の西に位置する。寛文元年(一六六一)から同四年にかけて、南接する難田(なだ)村との境東側に井田(いた)新田が開発された。枝村は徳当(とくとう)・山田原(やまだわら)で(備陽記)、村名を古くは枡香寺(じようこうじ)村と称したと伝える(吉備温故秘録)。応永二一年(一四一四)三月三日の新田新庄熊野参詣者交名願文(和鋼記念館所蔵文書)に山田原がみえる。また同二七年六月七日の宗器判物をはじめとする「新田庄新庄村内桝香寺」の敷地証状、沙弥某制札が当村香雲(こううん)寺蔵として「黄薇古簡集」に収められる。 友延村とものぶむら 兵庫県:佐用郡佐用町友延村[現在地名]佐用町延吉(のぶよし)正吉(まさよし)村の北、佐用川上流域に位置する。両側の山地は標高三〇〇メートルを超える。慶長国絵図に友信村とみえる。江戸期の領主の変遷は平福(ひらふく)村に同じ。正保郷帳には友延村とみえ田方一五八石余・畠方四三石余、芝山、小松はへ有と注記される。天保郷帳では高二一〇石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報