口赤花村(読み)くちあかばなむら

日本歴史地名大系 「口赤花村」の解説

口赤花村
くちあかばなむら

[現在地名]但東町赤花

畑山はたやま村の南東、赤花川の流域に位置し、東は中赤花村。古くは中赤花村と一村で赤花村と称していたが、寛文六年(一六六六)に分村した。赤花川沿いに東進する道は中赤花村を経てたき峠越で丹後国に通じていた。中世には太田おおた庄のうちで、観応三年(一三五二)五月一九日、但馬守護今川頼貞は「太田庄内赤鼻村参分壱地頭職」を神楽料所として山城石清水いわしみず八幡宮に寄進している(石清水文書)

赤花村は文禄四年(一五九五)出石城(現出石町)城主小出吉政(のち出石藩主)の所領となる。寛文六年小出吉重が父吉英の遺領を継いで出石藩主となった際、弟英本に二千石を分知、このとき赤花村は当村と中赤花村に分れ、中赤花村は旗本小出英本(倉見小出家)領となり、当村はそのまま出石藩領として残った。元禄九年(一六九六)出石藩小出家は無嗣絶家となり、同藩領はいったん収公されたが、翌一〇年松平(藤井)忠周が武蔵国岩槻いわつき(現埼玉県岩槻市)から移って出石藩主に就任すると、当村は再度出石藩領となり、同藩領で幕末に至った(「小出氏系譜」山田家文書、「寛文朱印留」、宝暦七年但馬国高一紙など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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