古屋石塚村(読み)ふるやいしづかむら

日本歴史地名大系 「古屋石塚村」の解説

古屋石塚村
ふるやいしづかむら

[現在地名]金津町古屋石塚

桑原くわばら村の南、竹田たけだ川の自然堤防上にある。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では長畝のうね下郷に含まれ、正保郷帳には「石塚村」と記される。寛永元年(一六二四)以降丸岡藩領。慶長三年の検地帳の末尾田畑集計部分を丸岡領全域について筆写した越前丸岡領水帳写(吉沢家文書)によれば、総高七四一石、田方一八町三反余・畑方三三町八反余であった。

当村域は、十郷じゆうごう用水分流で、斎藤実盛が開削したと伝えられる(実盛江とも)によって灌漑されるが、正保郷帳に「日損・水損所」と記されている。見立村々免付之覚(斎藤家文書)によれば、延宝元年(一六七三)から同六年までの税率は、村高の六分から三割三分の間を上下している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む