古屋村(読み)ふるやむら

日本歴史地名大系 「古屋村」の解説

古屋村
ふるやむら

[現在地名]上那賀町古屋

小浜こはま村の南西、那賀川南岸および支流古屋谷ふるやだに川沿い山間に位置する。海部かいふ郡に属する。当村は平谷ひらだに村と合せて木頭下山きとうしもやま村とも称される。木頭下山村は木頭上山村(現木頭村)と合せて木頭村と総称する。慶長期(一五九六―一六一五)のものと推定される国絵図には「ふるや」とみえる。寛永五年(一六二八)徳島藩主蜂須賀忠鎮(忠英)は「木所下山古屋谷政所」の五郎右衛門尉に屋敷高五石六斗を与えている(「蜂須賀忠鎮黒印状写」徴古雑抄)。五郎右衛門尉は「阿波志」では天正一三年(一五八五)の仁宇谷一揆の時に活躍したことがみえ、天正一八年には田三千歩が与えられたという。


古屋村
こやむら

[現在地名]安佐北区白木しらき町古屋

井原いばら村の西、三篠みささ川の支流で東流する栄堂えいどう川沿いに位置する。高田郡に属し、南は市川いちかわ村に接する。「芸藩通志」は「広廿町、袤三町、低山南北に連り、東西は平田なり、川一流西より来り、東に出る、飛郷十余所、二は市川村に入り、其余は井原村にあり、民産山業あり」と記す。川沿いに井原村と西の志路しじ村を結ぶ往還のほかに井原市いばらいちより下入江しもいりえ(現高田郡吉田町)への往還が縦断する。


古屋村
ふるやむら

[現在地名]安中市古屋

九十九つくも川右岸、高別当こうべつとう村の北西にある。「寛文朱印留」に村名がみえ、安中藩領。寛文郷帳では田方一四八石余・畑方一二三石余。江戸後期の御改革組合村高帳でも同高で安中藩領、家数六〇。元禄郷帳によるとこの高のほかに法楽ほうらく寺阿弥陀領二三石余、下野尻しものじり荘厳そうごん寺領三石余、谷津やつ龍昌りゆうしよう寺領二石余があった。寛文五年(一六六五)の助馬村々書上(坪井文書)によると中山道松井田まついだ坂本さかもと両宿(現碓氷郡松井田町)の助郷村で、人足役家数一六、馬数一四と定められていた。元禄一〇年(一六九七)松井田宿助郷をはずされ、宝永七年(一七一〇)から安中宿助郷村となった(仁井文書)。明治一〇年(一八七七)頃の家数七六(うち社五・寺二)・人数三四六、牡馬一五。


古屋村
ふるやむら

[現在地名]印南町古屋

しろ山の北方、切目きりめ川沿いにある。南は宮前みやのまえ村。「続風土記」は「古屋は小屋木屋なとの義にして後に文字につき唱へ転せしならん」と記す。慶長検地高目録によれば村高一四七石余、小物成一斗四升四合。宝暦一〇年(一七六〇)の切目組大指出帳(「日高近世史料」所収)によれば田畑一一町六反余、家数二八で内訳は庄屋・肝煎各一、御役家六、無役家二〇、人数一一三、馬一、牛五。


古屋村
ふるやむら

[現在地名]大塔村古屋

北は下露しもつゆ村、南は佐田さだ村に接し、西は市鹿野いちかの村のたき(現日置川町)と峰を隔て境する。日置ひき川の支流将軍しようぐん川に沿う山間集落。「続風土記」に「小屋の義ならん文字につき唱への転せしなり所々に其例多し」と、記される。


古屋村
ふるやむら

[現在地名]朽木村古屋

針畑はりはた川上流にあり、北は中牧なかまき村・生杉おいすぎ村、東は能家のうげ村。寛永石高帳では高一三三石余。慶安高辻帳では田方一〇五石余・畑方二七石余。天保郷帳では高一三九石余。明治物産誌では家数二五・人数一三六、牛三〇は耕作・運送に用いる。


古屋村
ふるやむら

[現在地名]日置川大古おおふる

北は大野おおの村、南西は日置浦、南東は日置川を隔てて塩野しおの村と相対し、日置川の右岸にある村。中世は安宅氏の支配下にあったと伝える。慶長検地高目録には「大野古屋村」(高三一五石余)と記され、のち古屋村と大野村に分村。


古屋村
ふるやむら

[現在地名]宮崎村古屋

熊谷くまだに村の東北にあり、四方は山に囲まれ、熊谷川が流れる。慶長三年(一五九八)九月の越前府中郡在々高目録に古屋村一三八・三九四石とみえ、先高一〇二石余・出分三五石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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