古川寺跡(読み)こせんじあと

日本歴史地名大系 「古川寺跡」の解説

古川寺跡
こせんじあと

[現在地名]古川市七日町

今は市街地となり、跡形もない。鹿島山と号し、本尊は不動明王であった。古川鹿島社(現古川神社)別当で、古川の稲荷神社、大柿の鎧おおがきのよろい神社・かぶと神社、中里なかざとの鹿島神社、境野宮さかいのみやの十二所権現、宮内みやうちの稲荷神社、楡木たまのきの天神、小泉こいずみの不動堂、その他計一七ヵ所の別当を兼ねた。早くから鹿島社の別当として社側にあったと思われる。鹿島社は古川村元鹿島もとかしま(旧鹿島)にあったが、江合えあい川の河道が北へ回り、川の跡が集落になったので、鹿島社とともに古川寺も移ったとみられる(古川市史)。江戸時代には修験寺が仙台領内に約九〇〇寺あったといわれ、本山派・当山派・羽黒派に分れ、仙台藩では本山派が圧倒的に多かった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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