古御堂村(読み)こみどうむら

日本歴史地名大系 「古御堂村」の解説

古御堂村
こみどうむら

[現在地名]名和町古御堂

富長とみなが村の南、大山山麓の台地にある。御堂の跡が村名の由来とされ、御堂は中慶ちゆうけい寺のこととする説があるが、正保国絵図や「伯耆民諺記」では古見道の字をあてる。万治四年(一六六一)の富長神社棟札にも古見道村とあるが、元禄郷帳では古御堂村となっている。拝領高三五九石余、本免三ツ三歩。給人所付帳によると高木氏・寺島氏の給地があった。竹運上銀九匁九分余が課せられていた(藩史)。宝永七年(一七一〇)の汗入郡郷庄人家等改(名和町誌)によれば家数一五、男七七・女六三、牛二〇・馬二。


古御堂村
ふるみどうむら

[現在地名]黒部市古御堂

北はヶ開、南は植木新うえきしん村・金屋新かなやしん村。寛永一六年(一六三九)富山藩領、万治三年(一六六〇)から加賀藩領。正保郷帳では古御堂新村とあり、高一八八石余、田方一二町二反余・畑方三反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高二四一石、同五年と同九年の引高八六石、免三ツ一歩、小物成は鱒役一匁・鮎川役五分(三箇国高物成帳)。当時は黒部川が村のすぐ裏を流れており、大洪水によって延宝二年(一六七四)に一一一石、元禄一〇年(一六九七)に六〇石の引高があり、天保一一年(一八四〇)の草高七〇石(「高免帳」杉木家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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