日本歴史地名大系 「古木本庄」の解説
古木本庄
ふるきもとしよう
三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)に「五十九古木本庄北円堂八丁八反高市郡、反銭一貫八百文」とあり、興福寺大乗院領で、その段銭は一貫八〇〇文であった。北円堂は預所であるが、同抄には「後鳥羽院御願、瑜伽論検校号北円堂供、古木本庄」とも記す。興福寺
古木本庄土帳(内閣文庫蔵)と古木本・新両庄土帳(広島大学蔵、猪熊信男氏旧蔵)はともに断簡といわれているが、両帳を合わせると、両庄の全貌(坪付は北円堂供分のみ)がうかがえる。本庄土帳には
とある。下司の新賀氏は十市氏一党で大乗院方国民である。
坪付によると、同庄田畠の所在は高市郡西二五条一里一三坪・二五坪・三三―三五坪(現四条町・今井町・兵部町)、五筆合計二町八反である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報