日本歴史地名大系 「古毛村」の解説 古毛村こもうむら 徳島県:那賀郡羽ノ浦町古毛村[現在地名]羽ノ浦町古毛岩脇(いわわき)村の西にあり、南は那賀川を挟んで上大野(かみおおの)村(現阿南市)、北は櫛淵(くしぶち)村(現小松島市)。那西(なさい)郡に属し、正保国絵図に上大野之内として古毛村とみえ、高は記載されない。寛文四年(一六六四)の郷村高辻帳でも上大野村の枝村として記されている。だが明暦四年(一六五八)には当村一村の棟付帳(羽ノ浦町教育委員会蔵)が作成されており、あるいはこれ以前に分村したのであろうか。天和二年(一六八二)の蔵入高村付帳では蔵入高三二石余。正徳四年(一七一四)には新開検地が行われている(「新開検地帳」羽ノ浦町教育委員会蔵)。文化一〇年(一八一三)の高都帳では高二三四石余。「阿波志」によれば支落として妙見島があり、土田は水陸田三九町、高二八一石の半ばが采地。 古毛村こもむら 福岡県:朝倉郡朝倉町古毛村[現在地名]朝倉町古毛筑後川中流右岸の平野一帯、須川(すがわ)村の南に位置し、同川の南対岸は筑後国竹野(たけの)郡今泉(いまいずみ)村(現吉井町)など。古くは古毛久重(こもひさしげ)村とも称したが(続風土記)、元禄年間(一六八八―一七〇四)には古毛村となっている(元禄国絵図)。「続風土記」によると村内に中古毛村・下古毛村・才園村・中島(なかしま)村・三島(みしま)村があった。弘治三年(一五五七)と考えられる一二月一三日付大友義鎮書状(志賀文書/熊本県史料 中世篇二)によると、義鎮は志賀親度に「於豊筑百五拾町分」を宛行っており、この時の坪付とみられる年月日未詳志賀親度知行坪付(同上)には「一所 拾弐町 久重村」があげられている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by