日本大百科全書(ニッポニカ) 「古藤田一刀流」の意味・わかりやすい解説
古藤田一刀流
ことうだいっとうりゅう
近世剣術の一流派。流祖の古藤田勘解由左衛門俊直(かげゆざえもんとしなお)(号唯心(ゆいしん)、生没年不詳)はもと相州北条氏の家臣で、初め新当流(しんとうりゅう)を修めたが、1584年(天正12)伊藤一刀斎が小田原に来遊の際、これに師事してついに一刀流の奥秘を極めたという。その子仁右衛門俊重(にえもんとししげ)(号卜斎(ぼくさい))、孫の弥兵衛俊定(やへえとしさだ)、ともによく家業を継承して剣名を高めた。俊定のとき、美濃(みの)大垣藩主戸田氏信(とだうじのぶ)に仕えて、禄(ろく)200石を給せられ、以下歴代、同藩の一刀流師範役を勤めた。俊定の高弟、常州笠間藩(かさまはん)の杉浦平右衛門正景(すぎうらへいえもんまさかげ)は、唯心一刀流(ゆいしんいっとうりゅう)を称してこれを広め、また俊定の養嗣(ようし)俊矩(としお)(4代)の門人、正木太郎太夫利充(まさきたろうだゆうとしみつ)(1689―1785)は、先意流薙刀(せんいりゅうなぎなた)および万力鎖鎌術(まんりきくさりがまじゅつ)を創案し、正木流を称した。
[渡邉一郎]