唯心一刀流(読み)ユイシンイットウリュウ

デジタル大辞泉 「唯心一刀流」の意味・読み・例文・類語

ゆいしん‐いっとうりゅう〔‐イツタウリウ〕【唯心一刀流】

江戸前期の剣術一派伊東一刀斎景久の門人古藤田こふじた勘解由左衛門唯心により創始。古藤田流。

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精選版 日本国語大辞典 「唯心一刀流」の意味・読み・例文・類語

ゆいしん‐いっとうりゅう‥イッタウリウ【唯心一刀流】

  1. 〘 名詞 〙 江戸初期の剣術の一派。一刀流の祖の伊藤一刀斎景久の門人、古藤田勘解由左衛門唯心の創始したもの。古藤田流、古藤田一刀流とも。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「唯心一刀流」の意味・わかりやすい解説

唯心一刀流
ゆいしんいっとうりゅう

近世剣術の一流派。一刀流の分かれ。伊藤一刀斎景久(いとういっとうさいかげひさ)の高弟、古藤田勘解由左衛門俊直(ことうだかげゆざえもんとしなお)の号、唯心(ゆいしん)による。俊直は相州(神奈川県)北条家の臣、初め新当流であったが、1584年(天正12)伊藤一刀斎が相州(小田原)にきたとき、試合をして敗れ、その門人になったという。以下、俊直の子仁右衛門俊重(にえもんとししげ)(卜斎(ぼくさい))、孫の弥兵衛俊定(やへいとしさだ)とよく箕裘(ききゅう)の業を継ぎ、俊定が19歳で諸国を遊歴した際、一時唯心流を称したという。のち大垣藩戸田氏に仕え、200石を領し、また剣槍(けんそう)師範役に就任して一刀流に復名したが、門人の杉浦平左衛門正景、後の三郎太夫(さぶろうだゆう)以降は、唯心一刀流を称し、笠間(かさま)、徳山(とくやま)、松代(まつしろ)、磐城(いわき)などの諸藩に伝播(でんぱ)した。

[渡邉一郎]


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デジタル大辞泉プラス 「唯心一刀流」の解説

唯心一刀流

剣術の流派のひとつ。一刀流開祖・伊藤一刀斎景久の高弟、古藤田勘解由左衛門(かげゆざえもん)俊直が江戸時代初期に創始したとされる。名称は俊直の号に由来するが、俊直自身は一刀流を名乗っており、“唯心一刀流”を名乗り始めたのは孫の俊定の弟子、杉浦平右衛門正景の時代になってから。

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