可部赤邇(読み)かべ あかに

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「可部赤邇」の解説

可部赤邇 かべ-あかに

1844-1881 幕末-明治時代の医師,神職
天保(てんぽう)15年10月27日生まれ。可部安都志(あつし)の3男。父に医,神道をまなぶ。明治7年大阪の平野神社禰宜(ねぎ),のち教部省教導職となる。大神神社主典(さかん)などもつとめた。明治14年12月5日死去。38歳。石見(いわみ)(島根県)出身。名は別に厳隆,顕胤。通称は並次,高次,剛造。著作に「皇国名医略伝」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む