吉川忠安(読み)きっかわ ただやす

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉川忠安」の解説

吉川忠安 きっかわ-ただやす

1824-1884 幕末武士
文政7年閏(うるう)8月28日生まれ。吉川忠行の長男。出羽(でわ)久保田藩(秋田県)藩士。境目奉行,明徳館和学方教授,砲術館頭取などを歴任。この間,文久3年には小野崎通亮(みちすけ)らと雷風義塾を創設する。「開化策論」をあらわし,尊王思想と西洋の科学・軍事技術の導入,殖産興業を主張。戊辰(ぼしん)戦争では藩主に建白書を提出し,鶴岡藩征討を決断させた。明治17年10月9日死去。61歳。通称は類助。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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