日本大百科全書(ニッポニカ) 「マクドナルド」の意味・わかりやすい解説
マクドナルド(ファストフード・レストランチェーン)
まくどなるど
McDonald's Corp.
アメリカの、世界最大のファストフード・レストランチェーン。1940年にカリフォルニア州サンバーナーディーノにマクドナルド兄弟が開いた小さなドライブ・インが始まりである。1950年代に入り、当時としては画期的な、注文から調理、サービスまで流れるように行う現在のファストフード方式のシステム化を図り大成功を収めた。兄弟は「スピーディー・サービス・システム」と名づけたそのシステムを加盟店方式(フランチャイズ・システム)で広めようとした。当時ミルクシェイク製造器のセールスマンであったレイ・クロックRaymond Albert Kroc(1902―1984)は、マクドナルドに将来性をみいだし、フランチャイズ化に協力。クロックによるフランチャイズ方式は高い加盟料を強いる従来の方式とは異なり、加盟料わずか950ドルというもので、食材納入業者からのリベートも徴収しない方針は店舗数の伸長に大きく貢献した。1961年には兄弟から「マクドナルド」の商標を譲り受け、1965年正式にMcDonald's Corp.を設立。同社は調理方法を含めたチェーン全店の経営を統一する徹底したマニュアルを完成させ、1970年までに2000店舗、1990年代には全世界で2万店舗以上を展開する世界最大の外食産業に急成長した。
1990年代に入り売上げは上昇し、1993年の74億0800万ドルから1998年には124億2100万ドルを記録した。こうした利益の多くは国外事業から生じたものであり、同社の営業利益の半分以上を占め、国内市場ではファストフード市場の飽和状況から競争が激化した。フランチャイズ方式の店舗拡大は、加盟店から不動産所有、賃貸料、サービス料などを受け取り、世界的に店舗数を増加させた。1997年に新規オープンした国外店舗はその50%以上をオーストラリア、ブラジル、カナダ、イギリス、フランス、ドイツ、日本などが占めた。
日本では1971年(昭和46)に日本マクドナルドが設立された。東京・銀座4丁目にできた第1号店を皮切りに1996年(平成8)には2000店舗を超え、売上高は2988億円に達した。藤田商店(創業者、藤田田(でん))との合弁による日本マクドナルドの成長は、外資系企業の日本進出成功例の一つとして有名である。日本マクドナルドは2002年に日本マクドナルドホールディングスとして持株会社となり、ハンバーガー部門を分社化した日本マクドナルドを新設した。
2021年時点で、世界119か国に4万0031店舗を展開しており、そのうち約93%がフランチャイズ店である。2008年に全米のハンバーガー市場で46.8%のシェアを獲得し首位の座を維持(2位はバーガーキングの14.2%)。2021年の総売上高は232億2300万ドル、純利益75億1300万ドル。
[萩原伸次郎]
マクドナルド(Arthur McDonald)
まくどなるど
Arthur McDonald
(1943― )
カナダの物理学者。ノバスコシア州シドニー生まれ。1964年にダルハウジー大学卒業。1965年に物理学修士号を取得し、1969年にカリフォルニア工科大学で博士号を取得。1970年からチョーク・リバー研究所の研究官を経て、アメリカのプリンストン大学教授、カナダのクイーンズ大学教授などを務めた。1989年からサドバリー・ニュートリノ観測研究所長。
素粒子物理学の分野では、1960年代後半から観測実験などで、素粒子の一種であるニュートリノには質量があるのではないかという指摘がなされていた。マクドナルドは、太陽から放出されるニュートリノが地球上の観測器では理論値より少ない数しか検出できないのは、ニュートリノが振動によって変身したために観測できなくなったからではないかと考えた。振動による変身が事実ならニュートリノに質量があることになる。2001年マクドナルドを中心とした研究チームは、カナダのオンタリオ州サドバリーにあるニッケル鉱山の地下約2000メートルの場所に建設されたサドバリー・ニュートリノ観測所(SNO)で、太陽からの電子ニュートリノがμ(ミュー)ニュートリノとτ(タウ)ニュートリノへと変化し、ニュートリノ振動が起きていることを示す観測データをとらえ、2001年8月に学術誌で発表した。2007年に「ニュートリノが質量をもつことを示した」理由でベンジャミン・フランクリン・メダル物理学部門賞を戸塚洋二とともに受賞。2011年にはカナダ王立協会のヘンリー・マーシャル・トーリー・メダルを受賞、2015年「素粒子ニュートリノが質量をもつことを示すニュートリノ振動の発見」の業績で梶田隆章(かじたたかあき)とノーベル物理学賞を共同受賞した。
[馬場錬成 2016年5月19日]
マクドナルド(James Ramsay MacDonald)
まくどなるど
James Ramsay MacDonald
(1866―1937)
イギリスの政治家。スコットランドのロシマウスで生まれる。若くして社会主義に開眼、社会民主連盟やフェビアン協会に加入した。ロンドンに出てジャーナリストとして活動しつつ、社会主義者のなかでの地歩を固め、1900年から同年創設の労働代表委員会(後の労働党)書記長を務め、1906年には労働党下院議員となった。第一次世界大戦に際して、イギリスの参戦に批判的な態度を貫いた。そのため1918年の選挙では落選したが、1922年下院に復帰、議会労働党議長に就任、1923年12月の選挙の結果、1924年1月首相兼外相となって第一次労働党政府をつくりあげた。この政府は、フランス・ドイツ間の和解を助け、当時のソ連との関係改善に踏み出すなど外交面で成果をあげたが、短命に終わり、同年11月に保守党政府にとってかわられた。1929年再度首相の座につき、ロンドン海軍軍縮会議やインド円卓会議などを主宰した。世界恐慌に直面して、財務相スノーデンとともに伝統的な均衡予算政策に固執、政府支出削減の一環として失業手当削減策を打ち出したことが、労働党との対立を招き、1931年8月労働党政府は倒れた。しかしすぐに保守党に担がれて「挙国一致内閣」の首相となり、労働党からは除名された。その後は勢力も急速に衰え、1935年、首相の座を保守党のボールドウィンに譲った。
[木畑洋一]
マクドナルド(Philip MacDonald)
まくどなるど
Philip MacDonald
(1899/1900―1981)
イギリス生まれの推理作家。ファンタジー作家ジョージ・マクドナルドの孫にあたる。父ロナルドも作家で、オリバー・フレミング名義で父とスリラーを合作したのが、フィリップの作家デビューとなった。単独で発表した推理小説としては『鑢(やすり)』(1924)が第一作。読者に対するフェアプレイを意識し、シリーズ探偵アントニイ・ゲスリン大佐が論理性豊かな謎(なぞ)解きを展開する。裁判記録のみをもとに真犯人を指摘する『迷路』(1931)はこの延長線上にある作品だが、並行して、死刑執行までに真相究明を試みたり、無差別連続殺人を扱ったりと、華やかなサスペンス仕立ての作品も多く、旺盛(おうせい)なサービス精神が創作活動を貫く特徴だった。1931年にハリウッドへ渡って、映画「ミスター・モト」シリーズやヒッチコック監督の『レベッカ』(1940)の脚本執筆に加わったほか、W・J・スチュアート名義でSF映画の古典『禁断の惑星』(1956)の小説化も手がけている。短編集『Something to Hide』(1952)と短編『夢見るなかれ』(1956)でアメリカ探偵作家クラブ最優秀短編賞を二度受賞。マーチン・ポーロック、アントニイ・ローレスなどの別名義がある。
[松浦正人]
『吉田誠一訳『鑢――名探偵ゲスリン登場』(創元推理文庫)』▽『マクドナルド著、好野理恵訳『Xに対する逮捕状』(1994・国書刊行会)』▽『マクドナルド著、真野明裕訳『エイドリアン・メッセンジャーのリスト』(創元推理文庫)』▽『田村義進訳『迷路』(2000・ハヤカワ・ミステリ)』
マクドナルド(Ranald MacDonald)
まくどなるど
Ranald MacDonald
(1824―1894)
1848年(嘉永1)6月末に鎖国令下の北海道利尻(りしり)島に単身上陸したアメリカ人冒険家。毛皮交易商のスコットランド人を父に、アメリカ先住民チヌークの首長の娘を母に、今日のワシントン州アストリアで生まれる。1840年、16歳のとき東部カナダを出奔して船乗りとなり、47年捕鯨船プリマス号でハワイを出帆し、翌48年6月27日、ボートでまず北海道焼尻(やぎしり)島に上陸、ついで利尻島付近でアイヌ人漁夫に助けられたが、捕らえられて宗谷(そうや)、松前を経て長崎に護送され、大悲庵(あん)の座敷牢(ろう)に軟禁された。ここで同年10月から49年4月までの半年間、森山栄之助ら14名のオランダ通詞(つうじ)に英語を教え、日本最初の英語教師となった。森山は後年ペリー来航時に主任通詞を務めている。マクドナルド自らも日本語を学び、英和対照語彙(ごい)集を書き残した。49年4月26日、アメリカ艦プレブル号に引き取られて長崎を去り、53年にカナダに帰国。晩年はワシントン州フォート・コルビルに定住し、幕末の日本を鋭く観察した『日本回想記』を完成した。同州トロダに墓がある。
[富田虎男]
『ウィリアム・ルイス、村上直次郎編、富田虎男訳訂『日本回想記――インディアンの見た幕末の日本』補訂版(1981・刀水書房)』▽『吉村昭著『海の祭礼』(1986・文芸春秋)』
マクドナルド(John Alexander MacDonald)
まくどなるど
John Alexander MacDonald
(1815―1891)
カナダの政治家。保守党に所属。5歳のときイギリスのグラスゴーからイギリス領アッパー・カナダ(現オンタリオ州)に移住。1844年連合カナダ植民地立法議会に選出されて政界に入り、カナダ東部(以前のローワー・カナダ、現ケベック州)のフランス系政治家との提携に成功。56年にタシェ‐マクドナルド内閣を組閣した。しかし、このころから連合カナダの政界は行き詰まりをみせ、鉄道敷設問題、イギリスの自由貿易政策、アメリカの南北戦争などが主たる要因となって、彼は全イギリス領北アメリカ植民地の連合と独立、すなわちコンフェデレーションConfederationの実現に尽力した。67年カナダ自治領の成立にあたっては初代首相に就任(~1873)し、プリンス・エドワード島からブリティッシュ・コロンビアに至る版図を確定し、その間に横たわる広大なハドソン湾会社の領有地獲得に成功した。71年、南北戦争中に生じた英米間の懸案解決のためのワシントン会議にイギリス代表団の一員ながらカナダを代表して参加し、外交権獲得への一歩を踏み出している。政治汚職を問われて一時下野するが、第2次マクドナルド内閣(1878~91)下に、カナダは初の保護関税である「ナショナル・ポリシー」を採択し、85年には大陸横断鉄道の完成をみるなど、新国家の基礎が築かれた。
[大原祐子]
マクドナルド(Ross MacDonald)
まくどなるど
Ross MacDonald
(1915―1983)
アメリカの推理作家。本名はケネス・ミラーKenneth Millar。ハードボイルド推理小説が英雄ものや暴力ものへ流れていくなかで、ハメットやチャンドラーを継承して社会、人間を力強く描写する高い文学性を特徴とする。処女長編推理『暗いトンネル』(1944)以来、どこかに自己を投影した作品が多く、『動く標的』(1949)で初めて登場した名探偵リュー・アーチャーLew Archerに自己の投影があることを作者自身認めている。続いて『人の死に行く道』(1951)、『縞(しま)模様の霊柩車(れいきゅうしゃ)』(1962)、『ドルの向う側』(1965)などの佳作を発表した。なお夫人は、『鉄の門』(1945)などで有名な推理作家のマーガレット・ミラーMargaret Miller(1915―94)である。
[梶 龍雄]
『菊池光訳『暗いトンネル』(創元推理文庫)』▽『井上一夫訳『動く標的』(創元推理文庫)』▽『小鷹信光訳『ロス・マクドナルド傑作集』(創元推理文庫)』
マクドナルド(George MacDonald)
まくどなるど
George MacDonald
(1824―1905)
イギリスの詩人、小説家。初め聖職につくが、失敗。著作に転じ、大人向きのフェアリー・テール『ファンタステス』(1858)、自伝的な『デイビド・エルギンブロッド』(1863)で地歩を固める。有名な短編『黄金の鍵(かぎ)』を含む『妖精(ようせい)とのおつきあい』(1867)、『北風の後ろの国』(1871)、『お姫さまとゴブリンの物語』(1872)、『カーディとお姫さまの物語』(1883)などのファンタジーも子供たちに残した。神秘的イメージによる生死の意味の探求は、強い物語性に支えられ、ファンタジー文学に大きな影響を与えた。
[神宮輝夫]
『中村妙子訳『北風の後ろの国』(ハヤカワ文庫)』▽『中村妙子訳『黄金の鍵』(1985・偕成社)』▽『脇和子訳『お姫さまとゴブリンの物語』(1985・岩波書店)』
マクドナルド(John D. MacDonald)
まくどなるど
John D. MacDonald
(1916―1986)
アメリカの娯楽小説作家。冒険、科学、幻想、犯罪、推理と守備範囲が非常に広く、かつ多作で、ペーパーバックの書き下ろしによってアメリカ一般読者の幅広い支持を得ている。一方、ハードカバーの力作も多く、『夜の終り』(1960)のような特異な形式で犯罪に迫る佳作もある。1964年『濃紺のさようなら』で盗賊探偵トラビス・マッギーTravis McGeeを創作し、このシリーズの『桃色の悪夢』(1964)、『とり残された一人』(1967)なども大評判を得ている。
[梶 龍雄]
『吉田誠一訳『夜の終り』(創元推理文庫)』▽『深町真理子訳『濃紺のさよなら』(1967・早川書房)』