吉武栄之進(読み)ヨシタケ エイノシン

20世紀日本人名事典 「吉武栄之進」の解説

吉武 栄之進
ヨシタケ エイノシン

明治・大正期の応用化学者 東京高等工業学校長



生年
元治1年6月19日(1864年)

没年
昭和2(1927)年1月3日

出生地
信濃国松本(長野県)

学歴〔年〕
東京大学理学部純正化学科〔明治17年〕卒

学位〔年〕
工学博士〔大正4年〕

経歴
明治18〜21年東京府中学校兼師範学校教諭を務め、ついで第二高等中学校教授に転じ、28年まで在職した。同年東京高等工業学校(現・東京工業大学)教授に就任。32年文部省から毛染め及び毛織物捺染法、仕上法の研究を命じられ英国ドイツ留学。35年帰国後、復職し、傍ら名古屋高等工業学校創立委員、39年文部省視学官を兼任する。大正9年東京高等工業学校校長となり、15年退官し名誉教授となる。この間、12〜14年東京高等工芸学校(現・千葉大学)校長を兼任した。染色工業技術の研究と教育に尽力、工業界の発展に貢献した。晩年には大日本織物協会理事長、日本化学会長などを務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉武栄之進」の解説

吉武栄之進 よしたけ-えいのしん

1864-1927 明治-大正時代の応用化学者。
元治(げんじ)元年6月19日生まれ。明治28年東京高工(現東京工業大)教授となり,32年イギリス,ドイツに留学。大正9年同校校長,12年東京高等工芸(現千葉大)校長を兼任。染織工業技術の研究につくし,大日本織物協会理事長などをつとめた。昭和2年1月3日死去。64歳。信濃(しなの)(長野県)出身。東京大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android