日本歴史地名大系 「吉永藩陣屋跡」の解説 吉永藩陣屋跡よしながはんじんやあと 島根県:大田市吉永村吉永藩陣屋跡[現在地名]大田市川合町吉永辰(たつ)山山麓にあり、現在陣屋跡に浄土真宗本願寺派善林(ぜんりん)寺がある。遺構として鉄砲場が残る。慶長五年(一六〇〇)当地周辺一帯は幕府領となり、石見銀山領として銀山奉行の支配に属した。寛永二〇年(一六四三)加藤明成は若松(わかまつ)(現会津若松市)四二万石の領地を収公され、改めて子息明友が安濃(あの)郡大田の地で一万石を与えられた(「徳川実紀」など)。加藤家では初め大田北村の大沢(おおさわ)の地に陣屋を置くことを検討したが、水質の関係から吉永村に置くことに決定し吉永藩が成立した(吉永記)。吉永藩に編入されたのは安濃郡のうち大田北村・大田南村・吉永村・川合(かわい)村・東用田(ひがしもちだ)村・朝倉(あさくら)村・神原(かんばら)村・山中(やまなか)村・才坂(さいざか)村・刺賀(さつか)村・市野原(いちのはら)村・円城寺(えんじようじ)村・池田(いけだ)村・小屋原(こやはら)村・多根(たね)村・小豆原(あずきはら)村・志学(しがく)村・加淵(かぶち)村・上山(うやま)村・長原(ながはら)村の二〇ヵ村であった(正保国絵図・「寛文朱印留」)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by