朝日日本歴史人物事典 「吉田勘兵衛」の解説
吉田勘兵衛
生年:慶長16(1611)
江戸初期の新田開発者。名は良信。摂津国能勢郡倉垣村(大阪府能勢町)に生まれ,寛永11(1634)年に江戸へ出て木材石材商を営む。現在の横浜市中区伊勢佐木町付近は,江戸時代の初めまでは釣鐘形の入り海だった。ここを干拓して116ha余の新田(野毛新田,のちに吉田新田)を開発した。明暦2(1656)年開発にとりかかったが,翌年大雨で潮除堤が破壊され失敗。万治2(1659)年に再度挑戦し,8年後の寛文7(1667)年に完成した。このときは何人かの町人に協力を仰いで共同で開発したことから,それらの人々に新田を一部分割したが,のちには勘兵衛家とその分家ですべて買い集めている。この土地によせた執念がうかがわれる。<参考文献>『横浜市史』1巻
(斎藤洋一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報