吉田宿(読み)よしだじゆく

日本歴史地名大系 「吉田宿」の解説

吉田宿
よしだじゆく

東海道のほぼ中央。天保一四年(一八四三)の東海道宿村大概帳によれば、東の二川ふたがわ宿へ一里半二町、西の御油ごゆ宿(現豊川市)へ二里半四町、姫街道(本坂道)嵩山すせ村へ二里半。江戸からは七三里二三町四五間とある。慶長六年(一六〇一)の伝馬朱印状(橋良文庫蔵)

<資料は省略されています>

とあり、東海道設定当初からの宿駅であった。宿村大概帳による宿内人別は、五千二七七人、うち男二千五〇五・女二千七七二。総家数一千二九三軒、うち本陣二・脇本陣一、旅籠屋六五うち大一・中一三・小五一。


吉田宿
よしだじゆく

[現在地名]吉田町吉田

山陰地方と広島城下を結ぶ雲石路の宿駅で、「国郡志下調書出帳」に「本通り町筋東西六丁余、脇町七筋、小路十筋、(中略)駅馬拾疋先年迄廿四疋、三次駅迄行程六里、可部駅迄七里、御本陣之義相定りし義は無御座町方居宅相応之者共相勤申候」とあり、高田郡の奥筋・中筋の村村からの物資集散地として栄えた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

ベートーベンの「第九」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android