吉田平太郎(読み)ヨシダ ヘイタロウ

20世紀日本人名事典 「吉田平太郎」の解説

吉田 平太郎
ヨシダ ヘイタロウ

明治・大正期の陸軍中将



生年
慶応3年9月23日(1867年)

没年
昭和9(1934)年6月20日

出生地
豊前国日田郡西有田村(大分県日田市)

学歴〔年〕
陸士卒,陸大〔明治30年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲三等旭日中綬章,金鵄勲章

経歴
嘉兵衛の二男に生まれ、教英中学に学び、明治28年陸軍士官学校に入学、主席で卒業。25年陸軍大学校に入学、30年主席で卒業。この間、27年日清戦争に大本営衛兵長として従軍。参謀本部員を経て、32年陸軍大学校教官となり少佐、36年ドイツ駐在部官として赴任し中佐となる。37年日露戦争では第10師団参謀長。38年第7師団参謀長として奉天の戦いに参加、大佐昇進。41年騎兵実施学校校長、42年陸軍省騎兵課長、乗馬委員長などを歴任。45年少将、大正5年中将。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田平太郎」の解説

吉田平太郎 よしだ-へいたろう

1867-1934 明治-大正時代軍人
慶応3年9月23日生まれ。参謀本部員,母校陸軍大学校の教官などをへて,ドイツ留学。日露戦争では第四軍兵站(へいたん)参謀長。のち陸軍省騎兵課長,乗馬委員長などを歴任した。陸軍中将。昭和9年6月20日死去。68歳。豊後(ぶんご)(大分県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android