軍人軍属の戦時における〈武功抜群〉の者に授与された軍人勲章。1890年2月11日の紀元節に制定。清国との戦争に備えて,鎮台組織から新師団編成への改変,陸海軍における軍備拡張など,いわゆる対内的軍隊から対外的軍隊への具体的移行がすすめられた時期にとられた政策の一つ。神武天皇東征の際,天皇の弓にとまった金色のトビ(鵄)が長髄彦(ながすねひこ)の軍卒を眩惑・圧倒したという故事にちなんで制定され,軍人の名誉心をそそろうとするものであった。功一級から功七級に至る。日清戦争中の1894年10月27日金鵄勲章年金令によって,将官から准士官以下までの功級別に終身年金が与えられることになり,名誉だけでなく経済的恩典もともなうことになった。1940年4月29日以降は一時金制に改められた。拝受者総数10万8652名,うち功一級41名であった。第2次大戦後廃止された(政令4号)が,復活要求がしばしばなされている。
執筆者:雨宮 昭一
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武功抜群の軍人・軍属に与えられた勲章。1890年(明治23)に制定。1947年(昭和22)の日本国憲法施行にあたって廃止された。金鵄は金色の鵄(とび)で、神武(じんむ)天皇が長髄彦(ながすねひこ)との戦いで苦戦したおりこの鳥が弓に止まって敵の目がくらんだ機に、これを滅ぼせたという。勲章はこの故事にちなみ、忠勇を奨励する趣旨により制定され、功一級から功七級まであった。1894年(明治27)「金鵄勲章年金令」が制定され、この勲章の階級に応じた終身年金が支給されていたが、1940年(昭和15)4月29日以降に金鵄勲章を与えられた者から、一時賜金国債が交付されるように改められた。最初の受章者は有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王(功二級)で、第二次世界大戦終了までに94万0032人(内功一級45人)が受章。これらの年金および一時賜金国債は、1946年以降は無効とされた。
[内閣府賞勲局]
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…外国の事例としては,イギリスのガーター勲章,フランスのレジオン・ドヌール,ドイツの功労勲章,アメリカの自由勲章,旧ソ連の赤旗勲章などが有名である。日本の事例としては律令制以来の位階を筆頭に,近代では制定順に1875年勲章,81年褒章,84年爵位,90年金鵄(きんし)勲章,1937年文化勲章をあげうる。これら栄典の制度化は日本近代化と密接不可分の関係にある。…
… これにつづいて,きわめて注目すべき勲章が制定された。金鵄(きんし)勲章である。金鵄勲章は,明治憲法発布の1周年目にあたる1890年2月11日に,〈神武天皇皇業〉をつぐ明治天皇が〈神武紀元2550年〉を記念して,その国土平定の故事にちなんで制定した勲章であり,〈将来武功抜群ノ者〉に授与するものと定められていた。…
※「金鵄勲章」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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