金鵄勲章(読み)キンシクンショウ

デジタル大辞泉 「金鵄勲章」の意味・読み・例文・類語

きんし‐くんしょう〔‐クンシヤウ〕【金×鵄勲章】

戦功が特にすぐれた陸海軍人に与えられた勲章。明治23年(1890)に制定、功一級から功七級までの等級があった。昭和22年(1947)廃止

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精選版 日本国語大辞典 「金鵄勲章」の意味・読み・例文・類語

きんし‐くんしょう‥クンシャウ【金鵄勲章】

  1. 〘 名詞 〙 武功抜群の軍人に授けた勲章。功一級から功七級まであり、功級に応じ一定終身年金が下賜されたが、昭和一六年(一九四一一時金改定。同二二年廃止。金鵄
    1. [初出の実例]「天皇戡定(かんてい)故事に徴し、金鵄勲章を創設し、将来武功抜群の者に授与し」(出典:金鵄勲章創設の詔勅‐明治二三年(1890)二月一一日)

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改訂新版 世界大百科事典 「金鵄勲章」の意味・わかりやすい解説

金鵄勲章 (きんしくんしょう)

軍人軍属戦時における〈武功抜群〉の者に授与された軍人勲章。1890年2月11日の紀元節に制定。清国との戦争に備えて,鎮台組織から新師団編成への改変,陸海軍における軍備拡張など,いわゆる対内的軍隊から対外的軍隊への具体的移行がすすめられた時期にとられた政策の一つ。神武天皇東征の際,天皇の弓にとまった金色のトビ(鵄)が長髄彦(ながすねひこ)の軍卒を眩惑・圧倒したという故事にちなんで制定され,軍人の名誉心をそそろうとするものであった。功一級から功七級に至る。日清戦争中の1894年10月27日金鵄勲章年金令によって,将官から准士官以下までの功級別に終身年金が与えられることになり,名誉だけでなく経済的恩典もともなうことになった。1940年4月29日以降は一時金制に改められた。拝受者総数10万8652名,うち功一級41名であった。第2次大戦後廃止された(政令4号)が,復活要求がしばしばなされている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「金鵄勲章」の意味・わかりやすい解説

金鵄勲章
きんしくんしょう

武功抜群の軍人・軍属に与えられた勲章。1890年(明治23)に制定。1947年(昭和22)の日本国憲法施行にあたって廃止された。金鵄は金色の鵄(とび)で、神武(じんむ)天皇が長髄彦(ながすねひこ)との戦いで苦戦したおりこの鳥が弓に止まって敵の目がくらんだ機に、これを滅ぼせたという。勲章はこの故事にちなみ、忠勇を奨励する趣旨により制定され、功一級から功七級まであった。1894年(明治27)「金鵄勲章年金令」が制定され、この勲章の階級に応じた終身年金が支給されていたが、1940年(昭和15)4月29日以降に金鵄勲章を与えられた者から、一時賜金国債が交付されるように改められた。最初の受章者は有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王(功二級)で、第二次世界大戦終了までに94万0032人(内功一級45人)が受章。これらの年金および一時賜金国債は、1946年以降は無効とされた。

[内閣府賞勲局]

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勲章・褒章がわかる事典 「金鵄勲章」の解説

きんしくんしょう【金鵄勲章】

第二次世界大戦まで運用されていた日本の勲章の一つで、武功抜群の軍人・軍属に授与された。1890年(明治23)2月11日の紀元節(現在は建国記念の日)に、皇紀2550年を記念して制定された。その背景には、日清戦争(1894~95年)を前に日本の軍隊が対外的軍隊へと移行する時期にあって、軍人・軍属の地位を高め、士気を昂揚する意図があった。金鵄の名は、神武天皇の東征の際、金色の鵄(トビ)が天皇の弓にとまり、敵の長髄彦(ながすねひこ)の軍勢は目をくらませて降伏したという故事にちなんでつけられた。功一級から功七級まであり、同じ数字の勲等より上位とみなされた。日清戦争中に、受章者には終身年金が与えられることになり、名誉とともに経済的恩典も伴うものとなった。しかし、その後の戦争拡大で国庫が負担に耐えられなくなり、1940年(昭和15)に一時金制となり国債が支給された。敗戦後GHQの指示で廃止され、年金や国債は無効となった。受章者は第二次大戦終了まで約94万人にのぼった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「金鵄勲章」の意味・わかりやすい解説

金鵄勲章
きんしくんしょう

日本の武功勲章。 1890年2月 11日に制定された。神武天皇の弭 (ゆはず) に金鵄がとまったことにより戦勝したという神話にちなみ,金鵄と古代の兵器をデザインしたもの。功一級から七級までに分れ,終身年金付きで陸海軍軍人に与えられた。日清戦争から太平洋戦争までの間に約 83万人の軍人に授与された。 1940年4月 29日以降年金は一時金に替えられ,第2次世界大戦後廃止。 81年6月名誉回復を求める請願が衆議院内閣委員会で採決された。

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百科事典マイペディア 「金鵄勲章」の意味・わかりやすい解説

金鵄勲章【きんしくんしょう】

日本の旧叙勲制度において〈武功抜群〉とされた軍人軍属に与えられた勲章。1890年の紀元節に制定され,名は,神武天皇の東征の故事にちなむ。明治政府の軍備拡張期に,軍人の戦意高揚を期待するものであった。功一級〜功七級まであり,いずれも終身年金(1940年以降は一時金)付きであった。1947年廃止。

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世界大百科事典(旧版)内の金鵄勲章の言及

【栄典制度】より

…外国の事例としては,イギリスのガーター勲章,フランスのレジオン・ドヌール,ドイツの功労勲章,アメリカの自由勲章,旧ソ連の赤旗勲章などが有名である。日本の事例としては律令制以来の位階を筆頭に,近代では制定順に1875年勲章,81年褒章,84年爵位,90年金鵄(きんし)勲章,1937年文化勲章をあげうる。これら栄典の制度化は日本近代化と密接不可分の関係にある。…

【勲章】より

… これにつづいて,きわめて注目すべき勲章が制定された。金鵄(きんし)勲章である。金鵄勲章は,明治憲法発布の1周年目にあたる1890年2月11日に,〈神武天皇皇業〉をつぐ明治天皇が〈神武紀元2550年〉を記念して,その国土平定の故事にちなんで制定した勲章であり,〈将来武功抜群ノ者〉に授与するものと定められていた。…

※「金鵄勲章」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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