朝日日本歴史人物事典 「吉田経俊」の解説
吉田経俊
生年:建保2(1214)
鎌倉時代中期の公卿。参議資経の次男。母は宮内卿藤原親綱の娘。嘉禄1(1225)年に叙爵。はじめ官位はなかなか進まず,仁治3(1242)年,29歳にしてようやく五位蔵人に任じた(同母兄為経はこの年齢ですでに権中納言であった)。後嵯峨院政が開始されると,これに仕えて官も順調に進み,建長6(1254)年に左大弁,翌年蔵人頭。康元1(1256)年に為経が没すると,そのあとを継いで伝奏,評定衆となり,和泉国を知行する。翌々年参議となって公卿に列し,弘長2(1262)年に権中納言,文永8(1271)年中納言となる。この間常に後嵯峨上皇の側近として活躍。日記『吉黄記』がある。
(本郷和人)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報